ミル(Mille)の話

Goteaux Recordsロゴの元になった猫のMille(ミル)がその生涯を閉じた。東京地方に台風19号襲来目前の2019年10月10日、午後8時過ぎ。19歳と4か月。人間で言えばだいたい94歳と言ったところだから寿命一杯生きたと言うことだろう。台風が来たら世話してもらえないと思ったのか、台風被害に巻き込まれるのはごめんだと思ったのかわからないが、最後まで賢い猫だった。

ベルギー時代に友人から生まれたてを貰ってきたから、一生涯を共にしたことになる。死んでしまった今の気持ちは、ベルギーから来ていたお客さんがベルギーに帰って行ったような感情である。実に長い間、居候してくれた。不思議なもので、ベルギーに行けばまた会えるのではないか、そんな気持ちを抱かせる。

2000年6月18日生まれ。ミレニアムのミルである。種類はヨーロピアン、父親はロシアンブルーの血をひく。基本、黒猫だが、胸は白く、俗に言うタキシード・キャットの部類だろう。両前足は白い手袋、後ろ足も白い。鼻柱にも白い模様がある。三つ子のうちの1匹で、ミルのほかにグレーが1匹、もう一匹いたけれどその記憶はあまりない。

最初友人宅で出会ったときは、グレーの子猫が欲しいと僕の家族が言っていたが、具体的に貰いに行く段になったら、悪いけどグレーはもらわれてしまったと言われ、黒猫のミルを引き取ることとなった。程なくしてそのグレーの子猫は交通事故で死んでしまったと知らされた。ミルはそのあと19年も生きることになるのである。

帰国が決まって、連れて帰ることになり、旅客機一機につき、一匹はキャビン持込が許可されているから申請してうまく座席の下に置くことが出来た。前の晩は水や食事は取らずにしたから辛かったと思うが、鳴きもせず、ケージに入っておとなしくしていた。ヨーロッパでは生まれると首の後ろにICチップを埋め込まなくてはならない。国境を越えるときに必要、と説明された。去勢すると同時に埋め込んだ。注射器みたいなものでプチュッと一瞬だった。ブリュッセル郊外の獣医さんにはなにかとお世話になった。またバカンスやら日本出張やらで家を空けるときには、ワーテルローの先にあるペットを預かってくれる施設に持ち込んだ。ペットケアは充実していて利用料金も安く、日本とは比べ物にならない。

小さい時から好奇心が強く、見ていて心和ませる場面が多々あった。一緒に飼っていたヨウム(アフリカン・グレイ・パロット)のケージが台座と2ピースになっており、上の部分である籠をはずして台座のみになったとき、それを見たミルがヨウムはどこに行っちゃったのかと台座の中を覗き込んだりして笑わせてくれた。基本的に家の中で飼っていたのだが、隙を見て何回か脱走した。ブリュッセルの家のテラスから尻尾をおっ立てて庭に走っていくのを何回か見た。そのつど捕まえては家に戻した。また親から離れたからなのか、ポーセリンで出来た猫の置物を自分の母親と勘違いして、向かい合ったりしていた。健気である。

無事成田に到着すると検疫を経て、2週間、空港と提携した動物病院に預けなくてはならない。狂犬病予防のためだと言う。猫だけど狂犬病のワクチンは打ってあるし、2週間もそこに滞在する必要はどうみたってないのだけれど、ルールだからかなり高いお金を払って従った。小さい時からトイレはちゃんと決めた場所で出来ていたが、普通の猫と違い、なぜか尻尾を立てて壁に小便をひっかけるスタイルで用を足す。そのため、動物病院では大変だったらしい。しかし、そんな知能のある猫ゆえ、人気者であったことも病院スタッフから告げられた。

 

日本での最初の住処は都電の面影橋脇のマンションの11階だった。ミルにとって東京は外国、外へ行ってしまったら危険も多いので気が気ではなかったが、何事もなく約1年をそこで過ごした。2002年9月に今の杉並の家に引っ越すのであるが、なにをどう勘違いしたのか家族全員ボケていたのか、面影橋から杉並にやって来て少ししたらミルがいないことに気がついた。あっ、面影橋のマンションに置いてきぼりになっている!慌てて駆けつけるとリビングがトイレ臭い。ミルはそこにいたが、置いていかれたショックで下痢になってしまい、部屋中に巻き散らかしていたのだ!

杉並の家に移ってからすぐのことだと記憶しているが、またミルの姿がない。家族全員で名前を呼びつつ捜索したら、鳴き声が聞こえる。姿は見えないが声がする。どうやら家の外にいるとわかった。表に出て家を見上げると、なんと3階の部屋の外、壁際の細いスペースを怯えながら歩いているではないか!どこかの窓を開けて外へ出たはいいが、戻れなくなり、怖くなって助けを求める状況に陥ってしまったようだ。無事連れ戻し、事なきを得た。

またあるとき、どうもミルの気配がない。これは猫を飼っている人ならわかると思うけど、いないと気配が違う。どこから出たのか。外へ出て名前を呼ぶ。給餌する食器を叩いて鳴らしてみる。近所を見まわる。しかし、見つからない。裏の家に接近した瞬間、警備モニターのフラッシュが焚かれ、僕は一発で怪しい人になってしまった。当時の日課として朝、寝室から出るとミルが「ごはん!」と言いながら(たしかに「ごはん」と聞こえた)階段を走って登って来るので、たぶん翌日になればその慣れ親しんだ日課が繰り返されるのではないか、となぜか期待を抱きながらその夜の捜索は終了とした。

さて、翌朝である。寝室から出たらあの声とともに、あの姿が駆け寄って来たではないか!やっぱり戻って来たんだ。こんなに嬉しいことはない。ミルにしてみれば、朝ごはんが食べたいというそれだけかも知れない。しかし僕にとってはその見慣れた姿を見た瞬間の嬉しさは相当なものであった。

それから2,3日が過ぎ、仕事から帰ると、またしても気配がない。探してもいない。前回同様、家の外に出て名を呼ぶ。見回りをする。反応がない。しかし、かなりの時間が過ぎた時、隣のマンションの駐車場から見慣れた姿を現した。捕らえようとすると、するりと逃げる。逃げた先は1階のトイレの方向だ。トイレの窓に向かってジャンプしている。あー、そうか、この1階トイレの小窓から出入りしていたんだな。人間が寝静まるとトイレの窓から脱走し、朝になると何事もなかったように帰宅して朝ごはんをねだっていたようだ。ちなみにその窓は網戸がついているが巧みに手で開けていたのだろう。そういえば網戸が半開きみたくなっていたっけな。ちなみにミルのトイレはこの1階のトイレの中に設置してある。そのため、トイレのドアはぴったり閉まらないような工夫を施していた。猫は器用で、ミルも上手にドアを前足で開けてトイレに入っていったものだが、ついに昨日、その仕掛けを取り去った。仕掛けのないドアはいたって普通のドアになり、ふっと寂しい気分にさせる。

ミルの食事は台所脇でとるようになっていて、ブリュッセル時代に買った食器セットが置いてある。これパリで買ったんじゃなかったかな。アルミの椀が二つ、餌用と飲み水用だ。お椀を納める台座には、ヨーロッパらしく右側にナイフとフォーク、左側にスプーンがレリーフされている。台座は大き目の青と白のギンガム・チェック・パターンだ。ずっとこれを使っていた。アルミの椀は劣化してしまったのでステンレスのに替えてある。1m以上の高さのある台所脇の場所にこの食器を置き、同じく台所脇の背の高いゴミ箱の蓋に飛び乗ると、食器の手前に顔が出る。そうやって食べていた。今年になって一日中寝ることが多くなってからはこの食器セットの脇で眠るようにになり、そこがミルの定位置になったが、死んでしまう2日前までこの場所に自分の足でジャンプして飛び乗ったものだ。94歳、大した脚力である。この高いところからいつもリビングやダイニングを見渡していたんだ。

猫は寝るのが仕事と言われるが、そのとおりで悪戯をしていない時はたいてい寝ている。気温に敏感で年中通して自分がもっとも快適と感じる場所を探り当て、そこで寝ている。ミルが3階へ続く階段の一段を占領して長々と寝るようになると夏が近いと思い、僕のダイニングの椅子で寝るようになると秋も深まったと身をもって感じたものだ。夏には玄関脇、すなわち家の階段の一番下の段で眠り、どうやら夜中に2回ほどトイレに立つらしく、朝になるとトイレの砂がその分量だけ湿っている。老い先短くなって頻尿となったが、それまでは1回に放出する量は大体決まっていたから回数の推測が付いた。

友人が猫を飼い始めた時「貸し借りのない関係」とうまいことを言ってたが、この文章を書きながら改めて昔の写真を見返すと、どれも自分の世界というものを持っていたんだなぁと感じさせるものばかりだ。おなかが空いた時はにゃぁん、て鳴いてねだりに来るが、それ以外はウチの中で「俺の生活」という風情を醸し出している。犬がやたらと飼い主に飛び掛ってきたり、尻尾を振って喜んで見せるのとはまったく違うクールな佇まいだ。そう考えると、僕は単にご飯をくれ、トイレを掃除し、暖かい場所を提供してくれる役目の人間くらいにしか思っていなかったのかもしれない。でも触ると気持ちいい毛並みをなでさせてくれ、頭を寄せると喉をフルフル鳴らすのは僕くらいだったから僕との関係は特別なものだったかもしれない。僕以外の家族に対しても自分にとってどういう位置に居る人たちなのかがはっきりしていて、ムスメはしょっちゅう引っ掻かれていたし、カミさんは台所でよく肩や背中に乗られていた。僕にはそういうことは滅多にしなかった。

仕事帰り、自宅が近づくと、家の前の道が見える小窓で僕の帰宅を待っていることがあったが、猫はかなり時間に正確で食事の時間はほぼぶれることがなかった。だから週末朝寝坊していると寝室の前で声を上げて鳴いたり、そもそも寝室のすぐ外で待っているもんだから、朝トイレに起きると捕まってしまい、二度寝のまえにミルの朝ご飯というルーチンから逃れようがなかった。帰宅が遅くなり、家に誰もいないときなど、僕が玄関に入ると階段を駆け下りてきて、僕をじっと見ながら「どこ行ってたんだよ!」と顔に書いてあったりもした。そう言う時の顔付きはあきらかに怒っているようだった。いなくなって一番気が付くのはこの朝晩のご飯とトイレの掃除だな。夕飯を気にしなくてもよくなったけど、やはり寂しさがある。

アレルギーから皮膚がただれたり(なんとマグロやチキンがだめ)、おなかをこわしたりしたこともあったが、ほとんど病気になることもなかったけれど、2年前、右後ろ足の付け根に腫瘍が出来、手術した。ムスメがなんがぷっくり腫れていると発見し、かかりつけの病院で看てもらった。あいにく悪性で、さらに非常に取り除きにくい位置にあったこともあり、2年後、すなわち今年、再発してしまうのであるが、年齢を考えると全身麻酔の危険や前回同様完全切除は不可能であること、切除した場合、皮膚が元に戻らないかもしれないなど諸々不利な要素が重なって、切除手術は見送った。その際、血液検査やレントゲン撮影もおこなったが、2年前に診断された高齢の猫にありがちな甲状腺機能異常亢進も続けていた投薬によって順調に推移していたこと、血液の状態も年齢を考えると驚くほど健康であったことなど、ミルをくれた友人が"Strong Belgian cat"と形容していたのを体現していた。

しかしながら、人間にしたら94歳という高齢からトイレが頻繁になり、大きいほうも軟便から下痢になり、ついには血尿も起きてしまった。足に出来た腫瘍が体内のリンパ節に影響を与え、消化・排泄機能に異常が起きているらしかった。偶然か必然かそれとも運命の妙なのか、ちょうど今年6月末で勤めていた会社を辞めた僕は、一日中ミルの様子を見ながら介護をすることとなった。

これが大変だった。朝起きると家の階段や廊下、トイレの床におしっこがしてあり、その掃除で一日が始まった。置いてあった本なども汚れてしまいずいぶん捨てた。幸いうんちは自分のトイレでしていたが、汚れたトイレでは用を足さないという清潔好きな習性のため、トイレ周辺も汚れるのであった。日中、行動を見ていると、トイレに行ってするという基本的な習性は保たれているので、トイレかな、と思うと、ミルの後を追って、追い立て、トイレに追い込むということをよくやった。しかし、その手前で出てしまうこともたびたびとなった。こりゃかなわんと、ペット用のオムツの検討もしたが、人間と違い毛が生えており、さらに風呂が大嫌いだったから、この案は採用しなかった。では、犬小屋のようなものに入れたらどうか、というのも考えたが、トイレが汚れているとほかで用を足すという習性からそんなことをしたらこの小屋を一日中見張ってきれいにしておかなくてはならないと気づき、それもボツにした。最終的には、頻繁にひっかける場所はある程度決まっていたから、そこにペットシーツを仕掛けた。それで掃除はかなり楽になった。

猛暑の夏が過ぎ、秋になって、体の状態は一進一退だったけれど、寿命が来るまでは死なないだろうという当たり前だが、そんな気持ちにとらわれ、朝ご飯を準備している時、僕に擦り寄ってくるミルの暖かさを感じながら、僕が面倒を見るから長生きして欲しいと声を掛けたりしたものだ。面白いのは処方してもらった整腸剤や下痢止めを飲ませるのだが、口を開けて飲ませようとしたら引っ掻かれたので、スプーンにちゅーるを少し載せてだまして食べさせる方法でやってみたがうまく行ったのは1、2回ですぐに薬だけ残してしまうようになった。次にスプーンに薬を乗せ、スプーンを使って口を開けて喉に落とし込むという方法でやってみたが、前足がぐるっと廻ってスプーンを押さえるようになり、これも失敗。仕方ないので小さく砕き、ご飯に混ぜる方法で与えたが、薬の臭いを敏感に感じ取り、残すようになった。もとから猫は少し残すのだが、あきらかに疑っている。そこで食事の時間を遅くしたり薬を混ぜる分は少量の餌としたりしてがつがつ食べるように仕向けた。薬を食べてしまえば残りの缶詰は薬臭くないものを上げられる。

朝になってミルがどうなっているのか、どこにいるのかどきどきして家の中を探す日が続いた。ある時、帰宅すると姿が見えないので探したら3階のトイレの床で目を開けてうつぶせになっていた。焦って身体を触ると、ぱっと目が覚めたようなそぶりを見せ、死んでないことに安堵したが、そのとき目に光が宿るという現象を初めて体験した。起きた途端、虚ろだった眼球に彩光が戻り、いつもの猫の目になったのである。

ほんとうに具合が悪くなったのは死ぬ3、4日前で、急に衰えてきた。栄養を吸収できないので体重が軽くなり、身づくろいもしなくなったので、きれいだった手足が汚くなった。寝たきり状態になり、おしっこを漏らしてしまうので、尻尾や手足が汚れてしまう。水が大嫌いだったけど、風呂場に連れて行ってシャワーしてあげた。あれだけ嫌いだったのにおとなしくシャワーで洗わせた。

いよいよ食事もろくに取らなくなり、なんとか食べてもらおうとレトルトやスープを買い込んで、寝ている近くに持って行き、食べれば食べさせた。がつがつ食べる時もあれば見向きもしない時もあった。医者と相談し、流動食を与えるべくスポイトを貰ってきた。近づくと起きたようだったので水を少し飲ませたらごくんごくんと飲み込んだので流動食をあげた。これがよくなかったのか、急に呼吸が荒くなった。気管に入ってしまったのかもしれない。医者に電話をしたら、それが引き金になるかもしれないが逆さにして振ってみてくれと言われた。そのようにしてみたら少し吐いた。そしてそのあとおとなしくなった。胸を押したらひゅうひゅうと音がした。午後8時ごろ、ミルは息を引き取った。まだ身体は温かい。親から貰ったきれいな白い胸の毛並みはいままでと同じようにきれいなままだった。あと一日で台風が東京にやって来る。それを知ってか知らずか、いいタイミングで去っていった。

10月11日金曜日、世田谷で葬儀をした。ヨドバシの箱に寝かせたが、体が長いので箱の一部を切り、アマゾンの箱をドッキングさせた。ヨドバシの箱には「大切なお届けものです」と書かれていた。最後までなんかユーモアを感じた。朝から雨模様だったが、お寺に向かう時にはピタッと止んでいた。生前、水が嫌いだったためなのか、雨は火葬の最中に降っただけで、帰りも降られることはなかった。

 

猫の一生を19年以上掛けて一緒に体験した。子供の頃の写真を見ると、同じ猫とは思えない無邪気さが強く心を打つ。歳とともに顔付きも変わり、ここ何年かは、人間の老人のような威厳と風格を感じさせた。階段の上で寝ている時、頭の後ろが下から見えたが、ほんとうに老人が寝ているような感覚にとらわれた。

 

思い出すことはたくさんあるが、去勢してるのにマーキングされ、その所為で玄関の大掃除を何回もさせられたり、いきなり台所のシンクに居てびっくりさせられたり、夕飯の残りをラップして台所に置いといたら食べられてしまったり、ダイニングテーブルにあったスルメイカを床に落とし、飼っていたフレンチブルがそれを食べてしまいブルが怒られるとか、朝ご飯が遅いと甘噛みされたり、1階に置いてある缶詰を取りに行こうとしたらご飯を作るのが先だろ、と言わんばかりに降りていく僕の手に猫パンチされたり、風呂に入っていると入れてくれと言って入ってきてお風呂カバーの上で遊んだり・・・。でも一緒にいるインコのぴぃちゃんには手を出さなかった。歳を取って、単にかったるかったのか、それともいまさら小鳥を襲ってもと思っていたのかわからないが。過去、なんかミルの夢を見たなぁと思って朝目が覚めることも何回となくあった。いなくなった今も長い胴体の感触とか、鳴き声とか、毛並みとか、暖かい体温とか、僕の記憶になまなましく残っている。ベルギーからのお客さんがほんとうに長い間居候し、帰っていった、そんな気持ちである(完)。