カセット三昧

レコードを買う状況になかったのでIC11とカセットテレコでとにかく録音し、カセットに収めた。そんなエアチェック・カセットはこのあと大学入ってステレオカセットデッキを買ってからも延々と続いた。いやむしろ、活発になったといっていい。だって最初のテレコはモノラルだったしポーズボタンがないので瞬発力がなく、頭が欠けてしまう。とくにDJや語りの間に曲目紹介もなくいきなり始まったりするとまずお手上げだった。カッコつけるなよ!と勝手なことを思ってた。しかし、人間、打開策は必ずあるもので、編み出したのが録音ボタンをまず押しておいて、さぁ!となったら録音ボタンを押さえ込んだまま再生ボタンを押すという荒技!これで頭が欠けることは激減した。

 

あの頃、多くの音楽ファンがやったと思うけどオリジナルカセットジャケット。このディランのは我ながらなかなかだと思う。ミュージックライフの広告を切り取ったものだ。中身はFMのディラン特集。追憶のハイウェイ61あたりのエレクトリック・ディランが中心だ。

 

ビートルズからストーンズと来て、やはりディランと来るだろう(笑)。日本の四畳半フォークを嫌っていた僕はフォーク一般に対して苦手なイメージを持っていたから「フォークの神様」ディランはちょっと敬遠気味だった。しかし知識としてLike A Rolling Stoneとかエレクトリックになったディランもなんとなく知っていたからこの特集はありがたかった。聴いてみるとこりゃいい!ってんでずいぶんハマった。

 

このカセットには「ナッシュビル・スカイライン」からも収められているが、「北国の少女」でデュエットしているジョニー・キャッシュは僕が洋楽聴き始めの頃「スーと言う名の少年」をフィーチャーしたアルバムが出たところでミュージックライフで広告を見た記憶がある。いま調べてみるとAt San Quentinだったのだろうか。それともカール・パーキンスも出ていた記憶があるからJohnny Cash with Carl Perkins and The Tennessee Three - Little Fauss and Big Haisy (Original Soundtrack Recording)だったのだろうか??

高校生活

僕はよく誇張して「高校時代はビートルズしか聴かなかったぜ!」と言っているがそれもあながち大袈裟ではなく、それほどビートルズはよく聴いた。初期のナンバーもいくつかのブートレグ音源も集めたし、お気に入りのナンバーをLPのように並べてノートに書いてみては悦に入るという遊びもしょっちゅうやってた。

高校に新聞部があり、編集をやってるやつが同じクラスのヤツで僕も投稿した。映画や小説で話題だった「恍惚の人」にひっかけて「教師の恍惚」について書いたものだ。学校も荒れていたというにはまだ愛嬌があったと思うけど、男子校だったこともあり、教師いじめが日常的にあった。教室のドアのすぐ外にロッカーを移動させて授業を終えて教師がドアを開けるとそこはロッカーの裏側となっていてロッカーをぐいぐいぐい・・・と押して教師が姿を現すとみんなチョークを投げつけたり、物理の授業でレーザーの実験があり、そのレーザー発信機を生徒が奪い取って教師にむけて「死ね、死ね」などといいながら発射したりしてした。

教師も教師で、深夜放送で噂になったN島氏など空手部の顧問だったりして暴力も振るっていた。そのN島氏に憧れていた化学の教師がモーホーの噂を立てられて「お弁当のおかずを交換した」とかまことしやかに囁かれなぜか学生集会でつるし上げられたりしていた。

生徒間でもいじめがあり、これも物理だったかと思うが、授業中部屋を暗くして実験をした時、蛍光灯のグローランプを僕が全部抜いてしまったので実験が終わっても明かりがつかない。教室の後方がうるさいなと思うと生徒が脱がされていたりして「ああ、弁当前に変なものを見ちまったぜ」とうそぶく生徒もいた。

中学のとき「エルピー、エルピー」と歌ってたやつは同じ進学校の城北高校に進んでいたが僕が自分の学校が荒れている話をしたら「ウチの学校なんて窓ガラス全部割れてるぜ」と言ってたから学校によってはもっと荒れ方がすさまじかったのかもしれない。

大学へ

SF研究会では同人誌をつくったり文化祭で騒いだりしていたが、プレハブ小屋に部室をあてがわれたので、放課後はそこにたまっていた。隣が社会科学研究会、通称「社研」と呼ばれる左翼活動のサークルだった。僕たちはノンポリもいいとこで毎日能天気に過ごしていたのだが、ある日会員でオーディオアンプを自作してきたヤツがいて、部室に持ち込んで電源を入れたら、そのプレハブ全体が停電になった。隣の社研の連中が「またおまえらか!」と怒鳴り込んできた。「また」というのはその前にもなにかやらかしていたのだろう。ひとつ下の会員にもビートルズファンがいてギターを持ち込んで歌ったり、壁にホワイトアルバムのポスターを貼ったりもしていた。

そんな感じで高校生活も3年の三学期になり、進学を決めなければならなかった。僕はそのころまでには試験というとおなかがぐるぐると痛くなるようになっており、それというのも担任が試験中偵察をしながら僕の後ろで立ち止まったりするもんだから気になって仕方がなかった所為もあるのだろう。とにかく数学(数IIBだ)や物理、化学といった数字が出てくるもの、世界史や日本史などアイデンティティが持てずとにかく記憶しなければならなかったものなどは決まってトイレに行きたさが半端なかった。旺文社模擬試験など地獄だった。

そんな時、担任が進路指導で国際基督教大学は知っているか?と尋ねてきた。キリスト教か・・・知らないなぁと思って調べてみたら普通大学は共学の場合、圧倒的に男子が多いがここは半分が女子だった。そこでためしに受けてみることとした。

2月になって受験シーズンとなったが国際基督教大学の試験は1,2を争うほど実施日が早かった。試験当日、大雪で僕はサイタマの実家にいたもんだから武蔵野線が止まってしまって途中で足止めを食った。焦った僕は大学に電話したら「全員揃うまで待ちます」という返事だった。流石キリスト教精神と思い、試験に臨んだが、案の定トイレに行きたくなり半分も出来なかった。しかしながら合格発表の日、僕の番号を見つけたときは嬉しかったし、もういいやここにしよう、と早々と受験から「一抜けた」。

大学に受かって入学するまでの数週間はほんとに天国だった。試験勉強はやらなくていいし宿題もない。僕は毎日北浦和駅近くの浦和市民図書館へ行ってロックの本を借りてきては読みふけった。そうしたらなんと大学が学費値上げ闘争で入学式が延期になってしまい、入学式開催日もわからなくなってしまった。しかし、同時にこれサイワイと読書は続いた。

「ロックへの視点」(カール・ベルツ)は初めて買ったロック評論本だ。そして「ロックの時代」(片岡義男・訳)はいろんな雑誌から良質の評論を集め片岡義男がクールに訳したものだ。実はこの本、図書館で借りたので買わないでいたらいつの間にか絶版となってしまい、つい2年前くらいに神保町のユニオンで見つけて状態もそこそこよかったので購入した。いきなり冒頭に「チャック・ベリー再生」という文章があり、なかでもジョン・フォガティへのインタビューはもう一度読みたいとずっと思っていただけに買えたのは嬉しかった。今の目線で読んでみると知識も当時とは比べ物にならないくらいついているのでほんと面白い。こういう本はいつでも買えるようになっているといいなぁと思う。

もちろん、FMで音楽はずっと聴いていたが、大学に入ってやりたいこと、それはまずギターとターンテーブルを買うことだった。

ギターを買うとき、エレキギターがいいかなぁと思ったがキース・リチャーズ(当時はリチャード)がアコースティックギターを弾けないと話にならないみたいなことを言ってるのが頭にあったのでフォークギターにした。SF研究会の友人でギターを持ってるやつに付き合ってもらい、御茶ノ水へ行った。いろんなのがあったけど、グレコのフォークギター(ウエスタンじゃない小ぶりの)で15,000円くらいだった。僕はアコギはそれ一本、いまでも使っている。