1978年秋、結成間もない頃、練習は渋谷宮益坂の三浦ピアノ2Fでやっていた。これはその初期のものと思われる。当時のメンバーは全員職場の同僚で、僕の代とそのひとつ上で構成されていた。レパートリーはヴォーカリストが歌いたいものを歌うやり方。ヴォーカル&ドラムの菅原はアメリカ駐在が決まり、その後釜に加入した布施はウエストロード・ブルースバンドにも在籍したことがあるとの話だった。

 

[メンバー]

西口(ヴォーカル)、佐藤(ヴォーカル)、生木谷(ヴォーカル)、菅原(ヴォーカル、ドラム)、ゴトー(ギター)、Y.菅原(ギター)、蔵重(ピアノ)、金山(ベース)、布施(ドラム)

デビュー@原宿サン・リヴァ

デビューステージは職場の納涼パーティ、場所は原宿のサン・リヴァというレストラン。

このときすでにヴォーカル&ドラムの菅原はアメリカ駐在で脱退しており参加していない。レパートリーは西口ヴォーカルではSex PistolsやRolling Stonesなどの尖ったロック、佐藤ヴォーカルではELVISやオールディーズ、生木谷ヴォーカルではBeatlesのMaxwell's Silver Hummer(限定)、Y.菅原ヴォーカルではEagles、金山ヴォーカルではBoz ScaggsにTom Robinson、ゴトーヴォーカルではGraham Parker、という新旧混合、ハード&ソフト、先鋭から伝統まで実にヴァラエティに富んだものだった。

自主企画@三浦ピアノ

毎週のように練習を重ねたIntelligence Lostは79年初夏、三浦ピアノ2Fで自主コンサートを開いた。ホームページWorksにある小冊子を作って来てくれた人に配ったのもこの時だ。ゴトーの友人の田嶋も呼んでStand By Meなどをやった。

 

西口がヘッドホンをしているそばに録音機らしきものがある写真があるからテープが残っている可能性がある。ただし、残念ながら演奏の出来はあまり納得のいくものではなかったようだ。

納涼パーティでリヴェンジする!

自主企画も経て精進を重ねたあとで再び納涼パーティに登場。この頃になるとベースはまったくの素人だった金山はかなりタイトな演奏を聞かせるようになったばかりか弾きながら歌うというレベルにアップしていた。トム・ロビンソンを師と仰ぐ彼にとって当然のコースだったと思われる。この時、西口はダムドばりのメイクで登場、観客の度肝を抜いた。西口はすでにこのバンドで唯一のオリジナルナンバーとなるNo Oneを持ち込んで、ますます先鋭的な方向を強めていた。ゴトーもストーンズのベロマークをあしらったTシャツでいかにキースに心酔していたかが手に取るようにわかる印象だ(笑)。

 

また驚くのはこのパーティの第2部でここ何年かゴカメのライヴで「理由なきはんこ」を演奏する際にジェームズ・ディーンの似たようなタイトルの映画を引き合いに出す時見せるディーンのTシャツをすでに着ていることだ。このTシャツは40年近く着ているということになるからまさに「ウルトラ処分」で♪モノモッチがいいね~とひたすら繰り返されるDoo Wopのコーラスを地で行くような頼もしさだ!(笑)

好評だったパーティのあとも熱心に練習が続けられたが、やりたい曲を持ち寄ってカバーするというバンドのポリシーにだんだん飽きてきたゴトーは突如脱退を表明、メンバーを驚かすが、続いて西口も脱退し、ゴトーに合流した。学生時代、オリジナル曲にこだわった活動をしてきたゴトーにとってやはりオリジナルで勝負するバンドをやりたかったというのが脱退理由であり、西口と組んでドラムに学生時代の知り合いのJunを呼んで結成したのがKAMIKAZE!であった。