モノまみれ!

以前、「モノまみれ!」という歌を書いてゴトー&カメレオンズでやっていた。断捨離などという概念が存在しないモノにまみれた世界にいる僕自身のことを題材にした自虐ギャグのナンバーである。最近リリースした「ウルトラ処分」もこの流れにある歌で、♪モノ持ちがいいね(シャリダン)、モノ持ちがいいね(シャリダン)~というDoo Wopコーラスをバックに裏声で歌うと言うLittle Anthony & the Imperials顔負けのアレンジとなっている。まぁ、曲想はともかく、どうやらこの「モノまみれ」ネタは複数回使い廻しが出来そうだ。

このコーナーではそんな僕の持ちモノを紹介する。



TICKETS

「俺と言う時代」コーナー(#9以降)を参照しながらお楽しみ下さい。


1978年

 

♪大学卒業、ロックも卒業、エリートコース・・・とは奇しくも社会人になったこの年に初体験したS-Kenの初期のナンバー「単調なレゲエ」の一節であるが、親元にいたので給料はレコード、コンサート、本などに使い放題だったとても恵まれた時期にこの少し前から沸き起こったパンクロック/ニューウェイヴの波がどどっと押し寄せてきたってわけで、なんと言う好都合!

 

まず1月にやってきたBlondie、渋谷公会堂に当日券で入ったのにチョー前列!チケットは「に」列となっているから5列目か?半分以上後ろはガラガラだった。途中メンバーがステージ上から客席を写るんですみたいなインスタントカメラで撮影していた。

 

3月にはJimmy Cliffがやってきてパンクと呼応してレゲエも聴かないといかん!と思ってた僕は即観に行った。

 

9月にはいよいよGraham Parker & the Rumourが来日。期待通りのステージだったが時間は短かった。終演後、客電が点く中、ミキサー席を通りながらスタッフにサイコーだったけど短かった!と言ったのを覚えている。Kansas Cityとかやんなかったじゃん!とか言ったとも思う。マーブル・アーチというオフィシャル・ブートレグを聴いていた所為で通ぶっちゃったな笑

 

11月にはElvis CostelloがAttractionsとともにやって来て小気味よいステージを展開。僕が観たのは二日目かな。初日にスピーカーをすっ飛ばしたというパンクな情報が入ってきた。開演前に司会者がそう言ったんだっけ?ところで、前座が出来たてのシーナ&ロケッツ。誰もが鮎川さん、なんでコステロなんすか?!と感じたに違いない。サンハウス時代はナマを観たことがなかったこともあり、想像とずいぶん違っていたので売らんかなで流行に乗っかっちゃったのかと思ったわけだ。SatisfactionもDEVOのヴァージョンだったし。

 

一番下の名前が書いてないチケットはElliott Murphyだ。T嶋と一緒に行った。ベースにErnie Brooksを伴って二人だけのステージで、Just A Story From Americaを気に入ってた僕は、フルバンドで観たいなぁと感じたものだ。客席にZOO(当時)の森脇美貴夫氏が居た。


1979年

 

パンク・ロックがニューウェイヴへ変化し(というか新しい音楽の主流になりつつあり)、それ系アーティストの来日が増えてきた79年、1月にTom Robinsonがバンドでやって来た。Tomは81年にソロでも来日するのだが、やっぱバンドサウンドがカッコよかった。クリス・トーマスがプロデュースしたファースト・アルバムはアメリカ盤を買ったが、Rising EP含むボーナス12インチが付いていた。

 

2月にはStranglersが来日、まさに英国パンク/ニューウェイヴラッシュだ。彼らは年末にもう一回やってくるがこの時は三枚目が出た後だった。

 

俺と言う時代#10にフィーチャーしてあるのでここには含めていないが3月11日に新宿ロフトで東京ロッカーズのLive Recordingがあり、僕は昼の部を観に行った。

 

4月のBob Marley & the Wailersは僕は2階席だったが、踊りまくる観客の記憶がある。その隣の小さいチケットは裕也さんプレゼンツのジャパンロックフェスティヴァル@日比谷野音だ。この年からしばらくは毎年のように観に行った。出演者は誰だったかなと思って調べたら裕也さんのサイトに情報があった。

http://www.uchidayuya.com/biography/3.html

 

5月はDEVO、6月はGeneration X、7月はTalking Heads、8月はXTCと毎月ニューウェイヴ系アーティストが来日していた。この中では武道館で観たDEVOがとにかくショッキングなパフォーマンスでベビー用の柵で囲まれたブージーボーイもすごい印象強くて終演後、僕は絶句だった。面白かったのは、一緒に行ったKAMIKAZE!のToshiも大きな感銘を受けたのだが、絶句してしまった僕とは逆に彼流の批評を帰り道ずっと大声で披露するほどハイになっていた。Talking Headsはまだファンクになる前だった所為か、なんか腰に来ないロックンロール・バンドだなぁと感じたものだ。

 

9月のTubesは実は前座のYMOがお目当てだった。メンバーに渡辺香津美がいた頃でフージョン系がヤだった僕にはどうにも収まりが悪かった。テクノと言われたYMOだったが、このあと来日するKraftwerkと比較すればその違いが明らかなように、僕にとってのYMOの最大の魅力は高橋幸宏のドラムにあった。彼のヒューマンなビートがあればこそのYMOだと思った。Tubesは大袈裟なシアトリカル・パフォーマンスでかなり大味な印象。

 

横になっている新宿ロフトのチケットは10月31日。調べたら「限りなく東京大地震に捧ぐ」というタイトルで、出演はS-Ken、突然段ボール、Non Bandとなっていた(https://rooftop.cc/loftarchives/shinjuku/1979/10/)。12月にはB-52'sと同じ年に2回目の来日となったStranglersがやってきた。B-52'sのほうはカラフルな印象程度しか残ってないが、Stranglersのほうは忘れもしない冒頭3曲、Something Better Change!同じ曲を続けて3回!日本人は歌詞がわからないから踊れればいいんだろ?!みたいな挑戦的なステージにどうしようムードが高まった。前座はリザードでこの頃にはジャン=ジャック・バーネルのプロデュースによるファーストアルバムも出ていたはず。


1980年

 

70年代も終わり、80年代が始まった。

 

3月のKai Band、当時キーボードを担当してた石坂君は高校時代の同級生、一緒にROCKや洋楽を語る仲間だった。彼が参加してるのを知った僕は近所に来たのを幸いに駆けつけ、終演後楽屋に行き再会を果たした。びっくりしてたよ、彼も!笑 甲斐バンドは勿論知っていたが、なかなかレコードを買う気にまでならず、ちょうどこの時はHeroがスプリングスティーン調だったのでシングルを買い、そのあとの安奈も買っていたタイミングだった。

 

同じ月、Boomtown Ratsがやって来た。Live Aid以来偉くなっちゃうボブ・ゲルドフのバンドだ。どっちかというとパンク系のナンバーが多いファーストより、Rat Trapなどのこれまたスプリングスティーン調が強調されたセカンドのほうが好きだった。

 

4月のTom Petty & The Heartbreakersはここには1枚しかないが2回観た。2日目と最終日かな。初日がTomの体調不良でキャンセルされたから実質的な初日だった。体調も万全でなかったろうに1曲目のShadow Of A Doubtを全力で演奏するTomに僕は涙が出た。ロック・コンサートで泣いた記念すべき第1回だった。あまりに内容がよかったので、終演後会場で最終日のチケットを購入した。最終日は2階から観たが、I Fought The Lawなどをやってくれた。

5月のDEVOは武道館で味わったような鬼気迫るステージではなく感動もそれ相当だったように思う。6月にはThe Ramones もやって来た。X列とあるがステージ最前から2列目だった。ゼルダのチホにそのことを話したら「怖いんでしょ?!笑」と、まんまと僕の心を見抜いた返事が返ってきた。実際には暴動やいまで言うモッシュはなく怖がっただけ損をした笑。

 

同じ月の三百人劇場を挟んで、7月にはThe SpecialsとThe Jamのお出ましだ。Specialsはステージ前で客の小競り合いがあった。ジェリー・ダマーズは客席に降りたんじゃなかったかな。The Jamのほうは振替券というスタンプが押してあるが、理由はもう忘れた。青年館のライブは録音されFMで放送された。8月は時の寵児Steve Forbert が来た。三角形を思わせる顔付きが印象的だったが、サウンド的にはかなり軽い印象を受けたように思う。別のl言い方をすればフレッシュさがあったと言うことだ。

 

11月にはDr. Feelgoodがやってきたが、ないものねだりでウィルコ在籍時のを観たかった。でもこの時、ジッピー・メイヨと連れションをするという幸運に恵まれた。開演前に用を足してたら隣に外人がピュッと入ってきて僕と並んだ。見たらジッピーその人だった。あまりのカジュアルさにびっくりしつつも「ファンなんです。観ることが出来て嬉しいです」みたいなことを言ったが、二人とも両手がふさがっており握手は望むべくもなかった!笑 ジッピーも用を足しながらもOh, yeah!楽しんでくれ!みたいな反応だった。ホールに向かう階段を上がっていったらベンチにシーナさんと鮎川氏が腰掛けて煙草をふかしていた。再びドキッとしたが、勇気を出して話し掛けた。会話の最中に開演を告げるベルがビーッと鳴った。鮎川氏は一言「じゃ、観ようか!」と言って立ち上がった。その「同列感」に僕は深く感動した。

 

3枚並んでいるロフトのチケットは左からリザード、ゼルダ/絶対零度/午前4時、S-Ken/ ハルメンズのものだ。

東京ロッカーズ関連を追加。

 

一番上が1979年3月11日新宿ロフトでの東京ロッカーズLive Recording(昼の部)、その下右が同じく79年6月22日、「発狂寸前!東京ロッカーズ」@浦和市民会館。東京ロッカーズのGIGは「~寸前!」と言うのが多い。六本木での旗揚げGIGも「爆発寸前!パンク仕掛99%」だったと思う。これはS-Kenの田中さんの口癖と推測される。映画「ロッカーズ」でも「ぶちやぶれ!」を始める際に「爆発寸前!」と叫んでいるのを観ることが出来るし。浦和市民会館では8 1/2が参加した。熱狂的ファンがステージ前で踊っていたが会場が広かったこともあり少し寒い感じがした。終演後メンバーは駅近くのヴェルデで打上げをしているとBus Stopレコードの店主から聞いて、メンバーと知り合うのにいい機会なのに遠慮してしまった。

 

あとは1980年のもので、Street Survivalとあるのは「Street Survival 宣言」と題してACBで行われたときのもの。1980年6月14日。法政大学Garage All Night GIGと神奈川大学Electric Circuitは両方ともオールナイトギグ。法政のイベントのあと、S-Kenと個人的に話をすることが出来て、一緒に地下鉄に乗った。ダウンタウン・ブギウギ・バンドの話題を持ち出したら日本のブルース・スプリングスティーンは宇崎氏かもしれないね、みたいなコメントを返してくれた。ファースト・アルバム作るから手伝ってよ!と強引だが嬉しい誘いを受けたのもこの時だ。神奈川大学のElectric Circuit では大きな講堂みたいな教室が楽屋だった。真ん中のMAKIはS-Kenを通じて仲良くなった。荻窪Goodmanで2回はソロを観たということだ(これは81年かもしれない)。

 

そのほか特定できないチケットがこんな感じでたくさんあるが、その後ヴィジュアル系で知られる目黒の鹿鳴館はこけら落としが佐野元春とハートランドだった。頭の後ろに手を廻し、いやぁ参った!的な動作などまるでスプリングスティーン!笑 鹿鳴館ではこのほかデビュー直後のブルーハーツ、S-Ken、近田春夫とヴィブラストーンなんかを観た。CITYはS-Kenが出ていた池袋のヴェニュー。東武にあったレコード屋五番街に隣接してたように思う。ClimaxとLive Innも不明!笑


1981年

 

Chuck Berryはほんと、ついに、待ちに待った、待望の・・・とにかくホンモノを観ているんだと言う手ごたえがすごかった。初日はバンド仲間のT嶋とO久保と行った。バンドにはあと一人ドラマーのO沢がいたが、前座のハウンドドッグ大友氏がO沢にそっくりで「O沢いない訳だよな、あそこにいるもんな!笑」などという冗談で3人盛り上がった。

 

それにしてもChuckのオーラはすごかった。まるで後光が差しているかのよう。丁寧なお辞儀、絹のような歌声。次々に繰り出される馴染みのナンバー。終演後、出待ちをしたがChuckはとっくにホテルに引き上げていたらしい。3日目にもう一度観た時はさすがに後光は感じなかったが、たしかこの日、ピアニストを演奏中にクビにした。何が起きたのかわからなかった。そのピアニストが名ギタリストの成毛滋だったのも変な気持ちだった。

 

5月の連休は野音で裕也さんプレゼンツのフェス。6月はS-Kenが池袋にあったStudio 2000のシリーズイベントの第一回として登場。ちょうどファーストアルバムが出た直後と思われる。この顔写真はシングル「サクサク」にも使われたものだ。S-Kenとは前年、個人的に知り合いとなり、ファーストアルバム制作を手伝ってよ、と言われ、コロムビアレコードに通ったが、この時のエピソードは別途まとめたい。

 

7月は第1回Doo Wopカーニヴァルがあり、The Drifters、The Shirellesが来日、日本からはキングトーンズとシャネルズが出たようだ。Doo Wopには相当入れ込んでいたからたとえ屋号のグループであってもホンモノ感を期待して観に行ったはず。勿論、T嶋も一緒に行ったと思う。8月15日は野音で天国注射の昼。僕はついに吉祥寺マイナーには行かずじまいだったが、サウンド的にロックンロールが大きく後退した感があり、あまり楽しめなかった記憶がある。

 

9月はKraftwerkとStray Catsが来た。YMOの元祖と思っていたKraftwerkは基本的にYMOとは別物であることを認識したコンサートだった。レコードのジャケットにみる奇妙な感じもあまりなかったかなぁという感じだ。Stray Catsはまだセカンドが出たくらいでの来日だった。そして11月にはTom Robinsonがソロで来日、会場は新宿ロフト、共演はリザードだった。

東京ロッカーズ以来、ライヴハウスに出没するようになった僕はいろんなバンドを観た。この年はチケットの日付からロフト・アーカイヴで判明した範囲だが、以下のとおりだ。

ACB についてはわからないままだ。

 

2月8日 リザード 新宿ロフト
2月21日 ACB
3月8日 ツネマツマサトシ チャンスオペレーション 新宿ロフト
5月10日 ACB
6月26日 S-KEN 新宿ロフト
6月30日 S-KEN studio 200
7月1日 ACB
7月8日 チャンスオペレーション/突然ダンボールほか新宿ロフト
9月6日 リザード 新宿ロフト
9月19日 ACB
10月6日 パブロピカソ/NON BAND/MAKI 新宿ロフト
10月10日 <サヨコの特別な日> ZELDA 新宿ロフト
12月19日 ACB
12月22日 ACB

 

6月26日のS-Kenはたしか今で言うレコ発だったと思う。また10月6日のMAKIというのはS-Kenのファースト・アルバムでギターを弾いたり、アレンジをしていた人物。何かとウマが合い、彼がやっていたTRICK UPと言うバンドの武勇伝を聞かせてもらったり仲良くさせてもらっていたが早逝してしまった。残念である。


1982年

 

この年は1月29日ACBでのS-KenがLive初めだったらしい。その翌日は待望のThe Clashを新宿厚生年金会館で観ている。連日ライヴだ。Clashについては、チャージを本国英国でのLiveと比べるとはるかに高かったので、マジ、疑問に思ったが、遥々日本まで来るわけだから仕方ないよな。

 

2月も26日、27日、28日と連荘だ。しかも外タレばかり・・・。ちょうどこの頃、Kinksのレイ・ディヴィスとPretendersのクリッシーが恋仲で、一緒にやって来た。実はこの二組、同じ日のを買ってしまい、Pretendersの26日分をダフ屋に売って慌てて27日のを買ったように思う。だから2階席なんだな。

 

3月の浅草下町祭はS-Kenが出るので観に行った。セカンド・アルバムに収録される「気分は殺し屋」と「サンシャイン・スパイダーマン」がお披露目されたように記憶している。ところで、楽屋に行ったらザ・モッズの森やんがいた。なんでここに?!と思う人もいると思うけど、それなりの理由があったのだ。

 

5月はMadnessとBow Wow Wowのツートップ、6月に再びThe Jam、と来て7月7日はACBでホルモンズやシェイクスを観た。ホルモンズはのちにS-Kenに参加、いまでもHot Bonbonsで活躍する名ベーシスト、あっちゃんこと佐野君がいたバンドでメンバーと仲良くなり何回も観た。マネージャーをやらないか、という話もあった笑。シェイクスも何回も観たが、黒水兄弟のバンドでKinksのSitting On A Sofaの日本語カバーが記憶に残っている。黒水伸一氏は今も現役で活躍していて、2019年には篠原太郎氏、クロス氏らとサブタレニアンズを結成し、運良く観ることが出来た。6月のThe JamはThe Badgeが共演した。

 

オールディーズ系も当たり年で7月には第2回Doo Wop CarnivalでCrystalsやCoastersを観ることが出来、8月には再び来日のChuck BerryとRCサクセションが共演、Sam & Daveも出たThe Day of R&Bがあった。

 

11月のゼルダは明大生田校舎、12月にはついにRay Charlesを観た。レイはお付の方にガイドされ、踊るようなアクションで舞台に登場した。その様があまりに伝説的なレイだったので、一緒に行ったT嶋ともども僕らは歓喜の声を上げた。うわー、ホンモノだ!という感じだ。共演の柳ジョージ氏がレイが弾くピアノの傍で直立不動の姿勢で歌ったのをいまだに思い出す。

この年の新宿ロフトのチケット。ロフト・アーカイヴから以下のとおり割り出した。

 

19820202 大沢博美&ブギーブラザース/チー坊&ベイサイド・ストリート・バンド
19820214 <アフロデリック> モモヨ & リザード/ゼルダ
19820507 S-KEN/BOIL/E.T.P.S(ツネマツマサトシ)
19820605 リザード
19820725 ホルモンズ/チャンスオペレーション
19820816 ゼルダ
19820825 ホルモンズ/パブロピカソ

 

2月2日は大沢博美・・・となっているが、どういう理由で観に行ったのかすっかり忘れている笑。


1983年

 

New Wave系の来日が続く。というか、本流になりつつあった。

 

2月は英国のレゲエ・バンドUB40。バンド名はイギリスの失業者給付金の申請書様式名(Unemployment Benefit, Form 40=失業給付40号様式)からとられたものだ。まだ大ヒットを飛ばす前。

 

3月にはGeorge Thorogood & the Destroyersが来日、会場はなんと新宿ロフトだ。なんて贅沢な!笑 スライド・バーでブギ、ブギ、ブギをキメた。当然レコードも買ったが、僕にはちょっと固過ぎかなという感じだった。

 

4月にはDepeche Mode。僕にはアメリカーナ風のPersonal Jesus以降、90年代によくMTVで観た硬派なイメージが強いが、この時はぜんぜん硬派ではなく隠微なメードだった。その5日後にはJoe Jacksonを観ている。デビューの頃はコステロぽかったがその後ジャズやラテンを取り入れ独自路線に行った。

 

6月はWe Got The BeatとOur Lips Are SealedのThe Go-Go'sと伝説のIggy Pop。イギーは逞しくなって抱いていたイメージとは見た目はだいぶ違った。この時、開演前、鳥井賀句氏と一緒になり、談笑していると布袋氏がやって来て隣に座った。

 

7月の鮎川誠はロケットサイズ発売のタイミングか。そしていよいよP.I.L.がやって来た。Sex Pistols自体あっという間に解散してしまい、当時来日が果たせなかったが、最先端と感じられたバンドでの来日だった。チケットはないが、ABCを観たのもこの頃だ。

 

7月の鮎川氏に続き、9月には野音でサンハウス再結成!クレイジーダイヤモンズと題されたイベントで、午後の日差しの中、会場にPink FloydのShine On You Crazy Diamondが流れていたのが印象的だった。

 

11月はBryan Adams、John Foxx、U2と来日したが、John FoxxとU2は未使用。John Foxxは理由を覚えてないが、U2は風邪で高熱を発したためやむなくパスしたのだった。結婚前のカミさんが観に行って物凄くよかったと言ってた。Edgeが着てたシャツが僕を思わせたとも笑。


1984年

 

こうして改めて見てみると、チケットが単にコンピューターのアウトプットと化していったのはこの年あたりなのか?と考えさせられるね。83年のサンハウスがすでにアウトプット用紙だから83年後半くらいから切り替えが始まった感じだろうか。

 

4月13日東横劇場でのHEADZ 1は出演者表記がなく、記憶も飛んでしまったため、調べたところゼルダが出ていたようだ。ほかの出演者は不明である。

 

5月は恒例の裕也さんプロデュースジャパンロックフェス、コンピューター・アウトプットになっている。同じ月に野音で開催されたRebel Streetも完全にコンピューターの帳票である。Rebel Streetは同名のアルバムも出た。洒落たデザインのYMOはライヴではなく、映画の上映。やっぱいいよね、こういう方が。

 

6月のコステロはチケットらしいチケットの最終世代か?図柄からしてPunch the Clockのあとのタイミングと思われるので調べたら、Goodbye Cruel Worldが英国でリリースされたばかりの頃だった。チケットが手元に見当たらないが、結婚後もう1回観に行っている。85年か87年だと思う、風邪かなにかで具合が悪かったのを押して観に行った記憶がある(苦笑)。

 

ここからは無味乾燥なアウトプット・シリーズとなってゆく。

 

8月のエコーズはもしかしたら彼らを観た最初かもしれない。ホルモンズのメンバーから教えてもらって観に行ったんだと思う。ちなみにストリート・スライダーズを教えてくれたのもホルモンズだった。この日、コンサートが終わった帰り道、会場近くの歩道橋でギターを背負った辻君を見つけ、声を掛けた。そこで意気投合したんだと思う。それから何回も観に行った。スプリングスティーンやアメリカ文学を連想させたところが大きな魅力だった。辻君の印象は口元にあった少し大きなほくろ、黒くて丸い目、そしてちょっと縮れた黒い髪にたいてい黒い服とブラックジーンズ、まさに黒、黒、黒であった。

 

9月にも野音でアナーキーほかを観ているが東京ロッカーズ系のバンドがひとつも出ておらず、お目当ては誰だったのだろう。鮎川氏かアナーキーか??11月には「寒さを感じさせる」バンド、Echo & the Bunnymen、12月にはThe Dream SyndicateとRain Paradeのダブルヘッダーを観た。Echo & the Bunnymenはアルバムジャケットの所為もあるのか知れないが、U2と同じく身が引き締まるような寒さを感じさせるサウンドで日本のバンドにもかなり影響を与えたと思う。


1985年

 

手元にあるチケットはこれだけ。実際にはもっと行っているのだが、なぜか、これだけしかない(苦笑)。

 

まずは一番上のをスキップして、二番目の2枚、Luther Allisonというブルーズ・ギタリストを観に行ったときのものだ。Lutherはフランスから来たと記憶していたので確認したら、出身はアーカンサスだが、1977年にフランスに移住していたことがわかった。観に行った経緯にはその頃なにかで知り合った人(フランス人?)が絡んでいたように思ってよくみると、企画制作が「ぽっこわ・ぱ」となっている。「ぽっこわ・ぱ」とはパントマイム・グループで、一番上のチケットがそれを観に行ったときのものだ。そのときの出演者にジャン=クロード・ポミエという人がいて、おそらく終演後、彼とロックンロールやブルーズの話をするうちに、実はフランスからブルーズ・ギタリストが来るんだけど行く?みたいな話になったのだと思う。これで繋がった笑。でも、なんでぽっこわ・ぱを観に行ったのかその背景は謎のままだ。

 

2月18日はエコーズのワンマン。この時までにはメンバーとも知り合い、楽屋で談笑する仲になっていた。年賀状ももらった。この日、開演前の座席にファースト・アルバムの宣伝チラシが置いてあり、いよいよ出るなという嬉しさを感じたものだ。ファースト・アルバムは4月21日が発売日となっていることからも多分僕の記憶は合っている。結婚することを告げたら、ドラムでリーダーの今川君が結婚行進曲を歌ってくれた。

 

4月にはいよいよブルース・スプリングスティーンが来日。代々木オリンピックプールでのコンサートだった。初めから感動でテンパッていた僕だが、Racing In The Streetで彼の背後にロックンロールの歴史が立ち上るのを見た気がした時、感極まって号泣してしまった。ブルースはこのあと1回、アムネスティ・インターナショナルで来日、E Street Bandの面々と並んでギターを高く掲げてステージに登場したカッコよさに痺れた。


番外編


THE STREET SLIDERS

 

スライダーズの存在を知ったのはホルモンズだった。ヴォーカルのシゲツグ君が教えてくれた。ストーンズの曲をカバーしてもちょっとエアロスミスぽくなっちゃうんですよ、なんて話してくれた。

 

デビュー・シングル「Blow the Night(夜をぶっとばせ!)」とファースト・アルバムが出たのが3月5日、買ったその日に5回聴いた。そして荻窪新星堂に観に行ったんだ。新星堂への恩返しGIGだったと思う。記憶の限りではファースト・アルバムのナンバーをやったと思う。それ以来複数観ている。新宿ACBが83年、残りは84年だ。

 

このほか、チケットがないが、原宿~表参道のモリハナエ・ビルのイベントでNew York DollsのJerry NolanのがやっていたバンドとLondon Cowboysとフランスから来たThe Dogsと共演したのを日本のパンク界の重鎮・鳥井氏のはからいでラッキーにも観ることが出来た。出演者は全員モリハナエ・デザインの服を着てた。ハリーは詰襟ふうのジャケットを着ていたと思う。

 

またACBでストーンズ・ファンクラブ主催のイベントでも観た。共演はルースターズのメンバーが中心だった1984。ストーンズ・ファンクラブのイベントらしくWalking The Dog、Around and Aroundなど、ストーンズゆかりのカバー曲がメインだったが、ステージに出てくるなりMidnight Ramblerのスロー・パートの掛け合いをおもむろに始めたのにはびっくりした。

 

本格的に人気が出て来た頃には、もう観に行ってないが僕にとってのスライダーズはなんと言っても初期の3枚に尽きる。


Down Town Boogie-Woogie Bandとその関連

 

「俺と言う時代#6」でも書いているが、Down Town Boogie-Woogie Bandが僕の音楽生活に与えた影響は大きい。とくに曲作りの上で、コミカルな歌詞をロックンロールやブルース、ブギウギに載せることを学んだ。

 

キャロルと入れ替わりに出て来た彼らを最初に観たのはテレビだったが、ナマは75年6月10日神田共立講堂が最初。翌月には「納涼!夏のツッパリ大行進」というワンマンを浅草で観た。菅原文太氏がゲスト。その頃公開された「一番星ブルース」絡みである。

 

そのあとも数回観たが、新宿紀伊國屋ホールのつかこうへいプロデュース「昭和をうたう」はなんと700円と破格値だ。また、1977年8月、ELVISが亡くなった日に観た武道館Liveは赤坂のブギウギ・オフィスまでチケットを買いに行った(「俺と言う時代#9」に詳しく書いたので参照)。

 

ファイティングになった時、それまで入っていなかったファンクラブに入った。一気に過激になりいわゆるLove songを歌わなくなってそれまでのファンがどんどん離れていくのを見て、いまこそ僕が入るべきだと思い、加入した。

 

日比谷野音では自主制作の「海賊盤」を買った。未使用チケットは地元浦和でのライヴでこれもNHK浦和放送局まで前売りを買いに行っていい席が取れたのにインフルとなり、口惜しい思いをした。

 

本格的にDTFBWBを解散したあとも宇崎さんのライヴに足を運んだ。ソロ、Sucking Rouge、RU Sixなどバックバンドも変化した。野音のジャパンロックでも観た。1990年7月、免許取得中に海老名サービスエリアで偶然出会った宇崎さんの柔らかい握手は忘れられない。


ローリング・ストーンズ・フィルム・コンサート

 

映像のパッケージ・ソフトを個人で所有するのが高嶺の花だった70年代、ファンクラブ主催のフィルム・コンサートによく行ったものだ。

 

スクリーンに映し出されるメンバーにキャーという嬌声があがったりした。面白いのはだいたいの場合、会場にヘアスタイルを真似、インドスカーフで雰囲気を出したキースのそっくりさんがいたことだ。複数、いたときもあったように思う。みんなそれぞれ似ていた。

 

僕がファンクラブに入ったのは80年代に入ってからでこの頃は普通の観客として観に行ってた。


映画

 

アメリカン・グラフィティは封切で観た。埼玉の大宮で観たと思う。当時忘れ去られていて、オリジナル・ヴァージョンのレコードさえなかなか手に入らなかった70年代初頭、そういったロックンロールに興味を持ち始めた僕にとって、この映画はしてやったりな感があったし、サントラ盤は重宝した。

 

その下のシネラマは有楽町駅前のテアトル東京で「2001年宇宙の旅」を観たときのもの。勿論、リバイバルだ。壁一杯に映すスタイルでその没入感がすごかった。初体験がこの方式だったのは実にラッキーだ。

 

「ジャバ・ウォーキー」は大学の講堂で観た一本。ほかにはチケットはないが「バングラデシュのコンサート」「ラスト・ワルツ」「ペーパームーン」なんかも観た。

 

音楽映画は短館上映というより、イベントで観た。Charlie Is My Darling は発掘もので興奮したし、ボウイのZiggy Stardust も渋谷公会堂で上映という気合の入り方だ。

 

狂い咲きサンダーロードもライヴを組み合わせたイベント。Chuck Berryが1曲やっているのだけを観るために行ったのが「真夏の夜のジャズ」。小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべるジャズメンをバックにチャックはSweet Little Sixteenを快演。あとはジャズばかりでアニタ・オデイのスキャットなどは正直辛かった。もうひとつジャズと言えば「KCジャズの侍たち」。KCとはKansas Cityの略で、これはブルース寄りだから観に行ったと思う。レゲエのRockersはラフォーレ原宿で。イスカンダルは友人で漫画描いてたM岡君に連れられて行ったんだと思う。松本零士は嫌いではないがヤマトには興味はZEROだったな。いまもないけど。


展覧会など

 

興味を惹いたものは積極的に観に行ったが、ほとんどのチケットは捨ててしまったかなくしてしまってこの程度しか見当たらない。

 

この中では筒井康隆の「ジーザス・クライスト・トリックスター」やノーマン・シーフ写真展、JPCのパロディ広告展などが目を引く。「波の絵、波の話」は写真集も買った気がするが・・・。


PROGRAMME

コンサートのプログラムはこちらに掲載しました。