パンク・ロック・フィルム・コンサート

今のようにYouTubeもなければ、そもそもインターネットというものがなかった時代、パンク・ロックが興隆してきたと言っても動く彼らを観ることが出来たのはいわゆる「フィルム・コンサート」で、であった。おっと、その前に「レコード・コンサート」もあった。たいていはそこでフィルムも上映された。パンク・ロックも日本盤が発売されたものは有名バンドばかり、シングル盤こそ命と言うパンク・ロックは、現場ではそれこそおびただしい数のシングルが出ていたが、それらを手に入れるには輸入盤屋をあたるしかなく、しかもそれらシングルが入荷しているかどうかは店に行ってみるまでわからないというのが実態だった。

 

そこで、まずはレコード・コンサートとなるわけだ。当時、僕の認識していたパンク・ロックの伝道師はのちのDOLLとなるZOOの森脇美貴夫氏、グラサンがトレードマークだった鳥井賀句氏、そして大貫憲章氏といったところだった。ハードロックが専門だった渋谷陽一氏もいつの間にかパンク・ロックやNew Waveを紹介するようになり、NHK サウンドストリートは大変重宝した(#8参照)。

 

僕は吉祥寺で行われたのに出かけたが、そこで前述の森脇氏と鳥井氏がレコードを廻していた。場所はもうわからない。ラジオ番組のようにレコードを掛けて解説するというもので、集まったオーディエンスはとくに騒ぐこともなくマジメにパンク教養を身につけていた。記憶にあるのはULTRAVOXのHa Ha Haを掛けたことだ。ほかにも当然いろいろ掛けたと思うけどなぜかこの曲が記憶に残っているがこれまたなぜかついに今日までLPもCDも買っていない。同じ時にThe Clashのフィルムも上映され、こっちはJanie Jonesが上映されたのは確かに覚えている。メンバーがビリヤードをやっているよな内容だったと思う(違っているかも知れない)。

そして忘れもしないのが、有楽町読売ホールで開催されたフィルム・コンサートである。ステージの上には長い机が用意され、伝道師の森脇氏、鳥井氏に加え、渋谷氏も顔を揃えた。ほかにもレコード会社の方が居たかも知れない。僕は会社同僚のN口氏と一緒に二階席に座っていた。この時上映されたのはGraham Parker & the Rumour、Blondieもあったように思う。まぁ、有名どころは上映されたと思う。

 

イベントが進む中、突然、客席から男が一人、壇上に駆け上がった。何事か?!と仰天していると、その男は渋谷氏をめがけ、手に持っていたビールを放ったのだ!「おまえなんか!おまえなんか!」とその男は叫びながらビールを掛けていた。渋谷氏は手を大きく振りかざし、飛んでくるビールを叩き落すようにしながら「やめろやめろ!」と抵抗していた。舞台の伝道師たちもあっけにとられていた。男は用事が済むとさっと客席に戻った。

 

出演者にビールを掛けるのはいいことではないが、彼にとって渋谷氏がパンク・ロックが商業主義に絡め取られていく象徴のひとつだったのだろう。その男がFOOLSのK氏だと言うこともあとでわかったが、ちょっとユーモラスなやり方も含め、突然の生のパンク・ロック・ショーだった。

大貫憲章VS伊藤政則、バンド対決!

話が前後してしまうが、当時の象徴的な出来事として是非紹介したいのが大貫憲章氏と伊藤政則氏がそれぞれバンドを率いて対決したイベントだ。上述の伝道師のうち、鳥井氏はすでにバンドをやって現場にいたし、森脇氏もZOOにバンドでやっている写真が「30でもやってるぜ!」みたいなコピーが付いていた。

 

そのイベントの会場は渋谷屋根裏だったように思う。いや待てよ、ぼくは相当前のほうで観たから違うかもね(要確認!)。大貫氏のバンドでベースを弾いたのが僕の高校時代からの友人I永氏と同じ上智大の人で、このイベントの前後にI永氏の自主コンサートで紹介されたように思う。「XXさん、大貫さんとバンドやるんですか?」とかそんなことを聞いたように思う。


大貫氏は勿論、Sex Pistolsのコピー、対する伊藤氏はKill the KingのRainbowのコピーだった。いわゆるNew Wave VS Old Wave。両方のバンドともなかなか上手かったように思う。大貫氏がドラムのキックの音をしっかり出してくれるようにサウンドチェックでPA担当者にかなりしつこく要求していたのが印象的だった。大貫氏のJonny Rottenそっくりの衣装も見ものだった。

※調べたら大貫氏は70年代中頃から自身のバンドを始めたようだ。最初は東京ヤードバーズと名乗ったとのことだ。