素晴らしきグライダー野郎

衛星アムートゥへの旅

(私的ライナーノーツ)

GLIDERの4作目「衛星アムートゥ」はアルバムとして造り込まれた音楽は言うまでもなく、しかし、それにまさしく拮抗するすべての曲に込められた異常なる言葉の数々、それに僕は参っている。 歌詞の異常性に気付いたのは、前作DarkllRhythm(以降、Darkと呼ぶ)完成後のライヴで新曲として登場した「衛星グッバイ」の「公衆便所」と言う単語だ。初めて聴いた時はライヴによくある空耳かと一瞬思ったが、何回か繰り返し歌われるその単語は疑いもなく、あの、駅のそばにある「公衆便所」そのものだった。 だいたい衛星グッバイなどと言うこと自体、普通の神経の人にはおよそ創造出来ない言葉じゃないか。彼らが無類のビートルズマニアだと知っている僕はそれでも”Hello, Goodbye”からの連想だろうとは思ったものの、”I say, Goodbye”のもじりだったらこれはエーちゃんではないか。”I say, goodbye, so goodbye”。シングル盤を持っているんです、僕は。

そう、やはりこの「衛星グッバイ」こそは「衛星アムートゥ」へのプロローグであった訳だ。そこで熱心なGLIDERマニアの諸君はもう一曲、このアルバムに先駆けて存在していた曲があることを知っている。

「無人塔」と言う不気味なナンバーがそれだ。実はこの「無人塔」と言う単語もDarkですでに歌われている。「関越シャドウ」と言うヤツだ。関越”自動”シャドウを走って行くとその終点近くに無人の塔があるらしい。おそらくそれは灯台を詩的に表現したのではないかと推察するが、曇り空の日本海に突き出したそれは何やら不吉な印象さえ与える。そもそもこの「関越シャドウ」は歌い出しから”です・ます”調が入り混じり、とても成人が書く文章とは思えないほど狂っている。しかも歌い出しは♬あちらに見えますのは〜とバスガイド調。それに続くのは白い団地の「ようだ」と極めて曖昧な言い方だ。正気の沙汰とは思えない。そして煽ってくるクルマを見たら所沢ナンバーのメルセデス!あー、いかにもありそうなこの白昼夢はなんだ⁈

 

さて、話がズレてしまった。そう、「無人塔」も前作Darkとこのアムートゥを繋ぐ重要なナンバーなのだ。「無人塔」の歌詞をちょっと見てみよう。♬バーゲンセールのワニ皮ベルト、マヌカンドールのヒョウ柄ドレス、ひゃくまんドルのエリマキトカゲ…それらがおそらくは閉店後の誰もいないショッピングセンターに佇む剥製感に満ちた情景を感じさせる。そして極め付けは♬誰もいないサンタクロースにコブラツイスト…この曲は歌詞のラインがわざと中途半端に構成されているからここも「誰もいない」は実はその前のヴァースのお尻なのだが、サンタクロースに掛かっているように感じさせている。想像してみたまえ。栗田兄弟が深夜のショッピングセンターに忍びこんでクリスマスセールに設置されたカーネル・サンダースのデカい置物みたいなサンタクロースにコブラツイストを掛けている様を。彼らならやりかねないと思わないか⁈

さてさて、賢明なGLIDERマニアの諸君はもうひとつアルバムに先駆けて披露された曲があるのに気付いているね。それは名前も中身も変えられてアルバムに収録されてされた「ゲートボール少女」だ。アムートゥの錬金術にかかって「スティール・シュガーパイ」として生まれ変わっている。それも古い洋館で開催された宴のあとを思わせる隠微で厚いカーテンの襞々を感じさせる曲になっている。執事と侍従と洋館の主人公である少女。しかしその子は人間ではない。金属で作られた人形なのだ。その人形に恋をしてしまったおそらくは召使。住み込みである彼は与えられた部屋で毎晩悶々した夜を過ごすのだ。


この3曲こそが、Darkと衛星アムートゥを繋ぐミッシング・リンク…いや、待て。真のミッシング・リンクは昨年4月にほんの一握りの熱心なGLIDERマニアのみが手にすることができたétudeと題された3曲入りのデモCD-Rだろう。この3曲、彼らを追及したところ、単にデモだと僕の執拗な探偵癖からするりと逃げてしまったのだか、そんなことはない。収録された3曲は栗田兄弟のみによるものだが、リズムボックスの使用、その他アクセサリーを多用したそのサウンドメイキングはまさに「衛星アムートゥ」の手法に繋がる研究、そう、まさにétudeだったのだ。さらにその2曲目の”Dumb Show”の歌詞はDarkのライナーノーツにすでにまるごと載っている。歌詞のタイトルこそないが堂々と掲載されているのである。この”Dumb Show”のヴォーカルのミキシングレベルがあまりに低く、ほとんど聞こえないのはその事実を見えにくくするトリックだったのかと今にして思う。

さて、あからさまに、あるいはひっそりと撒かれた種が芽を吹き大成した肝心のアルバム「衛星アムートゥ」、少し話は戻るが、アルバムタイトルになっている「衛星」という単語は、「衛星グッバイ」でデビューする前に、すでに前作Darkで重要なキーワードとして使われていた。それは「人工衛星」というカタチでDarkのテーマでもあるディストピアに向けた歌、「市営住宅~Dystopia Lovesong」で使われていた。さらに、ジャスト「衛星」ではなく、「オカルト」で使われていた「アダムスキー」もしくは「ユー・エフ・オー(UFO)」という単語も同義と考えていいだろう。そしてDarkのジャケットにはアダムスキー型UFOが2基描かれている。歌詞における言葉使いが通り一遍のものからちょっと聴いただけではわかりにくいものになったのが前作Darkだとすれば、人工衛星⇒UFO⇒衛星と言う具合にSFチックな内容に向かっていた事が読み取れるのである。

 

彼らがどのくらいのSFマニアであるかははっきりしないが、この「衛星アムートゥ」は前作がDystopiaであったのなら一気に大気圏外へ飛んで架空の世界(それは月の裏側かもしれない)へリスナーを誘う。サブスクが盛んな時代にあえて1970年代のLP全盛時代のような分厚いブックレットと凝ったアートワークを交えたプレゼンテーションが聴くものに音楽作品を物体として所有し、ブックレットのページをめくり、触り、視覚的にも満足のいく形にしている。すでにいろいろなところで話題となっているアートワークは緻密で、隠微でイマジネーションに富み、世に溢れるミュージックビデオとはまた違う楽しみを与えてくれる。

オープニング・ナンバーの「アムートゥ慕情」は「慕情」と思って聴くと、その激しさに期待を裏切られる。どう考えたって惑星を巡る衛星の真っ暗な空であるとか荒涼とした大地を連想させる荘厳なタッチで始まるのかと思いきや、スパイ映画のテーマよろしくまくし立てられるようなインスト曲で始まるわけだ。アルバムを最後まで聴くと、このオープニングがエンディングの曲と対になっていることが発見でき、一夜の夢を見たような気持ちになる仕掛けだ。このオープニング曲はあたかも寝入ったところを急に起こされるような乱暴さで、目を開けると自分の周りでは訳のわからない一大スペクタクルが巻き起こっている、そんな映像感を与えてくれる。だから自分の周りで暴れていた連中の足音が遠ざかって行くエンディングからまどろみの中から2曲目「スリーピー・ホロウ」が立ち上がってくる流れが気持ちいい。ちょうどこの曲が前作のオープニングナンバーとシンクロする。ここからが本編、という感じだ。この曲に僕は栗田兄弟が参加している葡萄畑の影響を強く感じる。ところで、Sleepy Hollowとはニューヨーク近郊で語り継がれる伝説で映画にもなっているが、GLIDERが一時ライヴの登場時のSEに使っていた"Roller Coaster Man"という曲をフィーチャーしたアルバム(1972年)を出したフィラデルフィアのバンドの名でもある。このバンドはあまたいるBeatlesフォロワーの中でもジョン・レノン・テイストのバンドで、その意味からもこのアルバムでその名を見たときは、おー、なるほど!と思ったものだ。

 

この曲に続くのは水面に太陽の照り返しを眩しく感じる「野蛮チュール」だ。2曲目がユウスケのリード・ヴォーカルだったのに対し、これはマサハルが歌っている。ジェントルな楽曲にYoung Rascalsの"Groovin'"を思わせるアレンジが、とてもお洒落な感じだ。多用されたパーカッションが心地よい。歌詞には早くも「衛星」が登場する。僕はこの曲はアムートゥにおける「オカルト」ではないかと思う。太陽の暖かさに満ちた衛星、てな内容だが、「オカルト」にあった懐かしい素直さとか恋愛の甘さはない。タイトルは勿論「アバンチュール」のもじりだが、ひょっとすると「アーバン(Urban)チュール」などと言う候補もあったんじゃないか。彼らが標榜する郊外=サバービアに対する都会としての「アーバン」と言う訳だがやはりそれではサバービアを飛び出してしまうからボツになったのだろうと勝手に妄想してみる。

 

さて、リスナー諸君、太陽の心地よさはここまでだ。ここからアルバムは急転回して激しさを増す。アルバムに先行して配信された「モーターサイクル・ウィークエンダー」がその皮切りとなる。拍をずらしたようなギターのイントロから、彼ら自身が自らの「黒くぬれ!」を作りたかったと語っているが、エキゾチックな音階のリフで踊りまくるダンス・チューンだ。このアルバム用のアーティスト写真がベルボトム+昭和テイストなのは先行カットされたこの曲が一番キャッチーな目玉とでも言う意味なのだろう。サビでは昭和歌謡的なコードを思う存分使ったかと思うといきなりDave Clark Fiveも真っ青なオーギュメントコードによる展開に思わず引き摺られていく。歌詞を読むまでは「あの頃パラノイア」とばかり思っていたが、そうやって音が似た言葉を持ってきて聴くもののイマジネーションを広げる手法は前作で本格的に取り入れられ、本作ではいっそう磨きが掛かり頼もしいばかりだ。そして歌い方が日本語のイントネーションを無視したものだから一瞬何を言っているのかわからない。冒頭の歌詞が「♪ゴーストタウンへ繰り出そう」であることに一発でわかった人を僕は尊敬する。しかし面白いのは2回目に繰り返される時には日本語のイントネーションで歌われているから、ああ、あれはそういう意味だったんだなと自然とわかる仕掛けになっている。流石だ。

激しい雨の中を疾走するモーターサイクル・ウィークエンダー(しかし、それにしても70年代の下世話なTV番組を連想させる「ウィークエンダー」とはよくぞチョイスしたものだ。だって薄っぺらいじゃないか)が行ってしまうと、一瞬逆回転で戻ってくるかのようなサウンド・エフェクトに続き、8月の道路の上で灼熱の太陽にさらされたデートでいきなり気分が悪くなったかと思ったらなにやら皮膚から吹出して来てそのまま道路に崩れ落ち、それでもそれは炭酸飲料のボトルから噴出してくるようにあたり一面を熱い泡で一杯にしてしまう、とでも言うよなヴィジュアルを感じさせる「ハイエナヂー」、なんで「ヂー」なんだとまず思うだろう。「ハイエナ爺」なのか?それとも70年代のガキ道講座のように「鼻ヂブー」なのか。あるいは「ぢ」なのか??彼らの温泉好き、サウナ好きは彼らを知るものの間ではよく知られるが、きっとこの曲もサウナで書かれたものに違いない。

 

この曲をよく聴くと、続けざまに打ち鳴らされるリズムを跨ぐようにリズムの頭でかすかに鳴っている打楽器音があるのに気づくだろう。これがあることで、激しいだけの曲ではなく混乱をクールにコントロールしている大きな存在がいるような感じを受ける。先の「モーターサイクル・ウィークエンダー」がエレクトリック・シタールや笑い声で充たされているのに似て、隠し味として威力を発揮している。このアルバムはCDであるがご丁寧にブックレットに擬似的なSide I、Side IIの指示があり、Side Iはここで終わる。

 

ここからは架空のSide II、いよいよ衛星アムートゥの深遠部に突入だ!

 

すでに書いた「スティール・シュガーパイ」に続くは「サイコグラフィア」、かなりの問題作!何がって、この曲、かなりのエロチシズムを感じる訳。全体的には「ねじ式」を彷彿とさせる不条理な世界を感じるんだけど、ブックレットのコラージュと相俟ってね。ケヤキハイツ、Googleしちゃったよ。201号室、ニイマルイチゴー室だよね。なにしろそこで待ってる女性は薄汚れた冬(じきに来るんだよ、じきに。どう、この「じきに」感!)を前にして俳句なんぞ詠んで窓に目をやるんだ。その仕草、旦那のことを想ってなのか、そうじゃないのか、気になるよね。出だしのこの1ラインで僕はもうノックアウトされてしまう!

 

・・・でもって旦那の帰りを待っているかと思うと、「旦那の代わり」を飼っていたりもするわけよ。さらに!僕が一番すごいと思ったのは「♪麦茶を切らせているせいで」硬い蛇口を咥えこんでいるんだよね、この方は!なんてこった!昭和時代のエロチシズムだよ!もう情景見えまくり!笑 この部屋の冷蔵庫は絶対白色だ。左側にステンレスの割と派手な取っ手がついてるんだ。さらに「彼女は見せない 彼女はさせない」と来て言い訳がましく「そう彼女はとてもいい」と言ったかと思うと「彼女は脱がない 彼女はいかない」と言っておいて「そう彼女はそこがいい」と来たもんだ。そこに掛かる英語がよくわからないんだけど、"Look out!"はわかる。Beatlesの"Helter Skelter"か??いかしてるよ。「夢は時をかける手紙さ」は「スリーピーホロウ」の「恋はタイムマシン」に呼応していると思う。

この不条理だが妙にリアルな曲が終わるとBeatlesのDear Prudenceなんかをイメージさせるアルペジオに続いてこれまたAbbey Roadを思わせるような「♪ゴーストタウンへ繰り出っそーぅ」っていうリフレインが印象的な「ひなぎく」が始まる。フルートがゆらゆらとリスナーの心をかき乱す。

何回繰り返すのかとシビレを切らした時、「♪あんめにぬれってもーぅ・・・」(三善英史じゃないぜ!)と続く。そして今度はメロディは「ゴーストタウンへ繰り出そう」なのに、歌詞は意味不明なシュビドゥビで終わっちゃう。そしていつの間にか、次の「デッドベリー・ジャム」が始まっている。もうマジ、Abbey Roadの世界だ。本人たちはBeatlesのSGT Pepper'sを引き合いに出しているけど、このB面のシークエンスはまさにAbbey Road!(GLIDERにはまだまだAbbey Roadは作って欲しくないんだけどね)。

 

耳を澄ますと気づく、ニューオーリンズのセカンド・ライン的なクラベスみたいなリズムが鳴っている。このFour-on-the-floorの歩くようなビートといい対照だ。マネシツグミ(写真参照)とかGoogleしてしまったよ。もう「何もなかったことに」して欲しい。ひとつ注文をつけるとすると"Deadberry"のはずだから(そんなもの本当はないみたいだけど)"Deadbelly"な発音じゃないほうがよかったね(でも、もしかして架空のDeadbelly??)。

「マネシツグミ」の画像検索結果


そして4つ打ちで呼吸を整えて、公衆便所をひとっ飛びするわけだ。この「衛星グッバイ」は本当によくって、夜空を自分で飛んでいる風景だよね。イントロの物悲しいというか思案を巡らせている感じがよく出ているフレーズからいきなり「酸性雨の夜眺めて」と始まるんだ。ここにちょっぴり風刺が入っているよね。さりげなく。飛ぶんだなぁ。両手を広げて。一緒にふくろうか猫も飛んでいる。そして滑空する。まさにグライダーなんだ。楽曲のイメージ的には前作の「パール」に似たところがある。"I say, Goodbye"とBeatlesの"Hello, Goodbye"を思わせながら、もうBeatlesじゃないグライダーなサウンドだ。繰り返し出てくる「今夜は眠れない」。これは「眠ろうとしても心が乱れて眠れない」のか「眠ってしまったら逃してしまう」から眠れない(眠ってる場合じゃない)のか勝手に思うダブルミーニング。そして幻想を誘う言葉・・・骨の折れた傘みたいなヒコーキ、すごいよ、これ。このアルバム中、一番のフレーズかもしれないな。

イルマ河の幽霊基地を見下ろして超ノスタルジーに浸ったところで始まる「朝焼けのドッペルゲンガー」!「朝焼け」と聞いて思い出すのは「ズインク・アロイと朝焼けの仮面ライダー」!ここでほら、ライダーなんだよ、ライダー!モーターサイクル・ウィークエンダー!このインスト曲を始めて聴いた時、瞬時にとても「青木さんらしい!」と思った。サスペンス映画のテーマの間に挟まれたチャールストンじゃないや、洒落た部分。そして舞踏会に集まった衆人は絶対酔っており、皆で"Bring it on back, bring it on back"と歌うのだ。何を"Bring back"するのか?まさかバンジョーじゃないよね(笑)。グライダーのメンバーや青木さんも当然交えて影絵のように宴は続いていく。もう朝焼けだと言うのに、だ。僕も仲間に入れてもらったが、とっくに帰宅してしまったって感じかな(笑)。サラリーマンの朝は早いんだ。

【追記】

この記事を書くにあたり、僕は前作DarkllRhythmのみならずétudeやでいとりいっぱー時代のDemoまで聴いた。そして2年前の夏にリリースされたマサハルのソロ、極めて実験的なコラージュ作品"Marchant #1"を改めて聴いてみて、おっ、この小品はまさにこのアムートゥに繋がるもうひとつのétude(研究)だったと悟った。

 

"Marchant"とは親しい友人がマサハルを「まーくん」「まーちゃん」と呼ぶそのニックネームをもじったと同時にMartianと綴れば「火星人」となるところに本人が気づいているかどうかは別にして僕は彼はすでに「衛星人」としてのアイデンティティ(もしくは正体)を示していると思えてならない。そこに、ただならぬ連鎖を感じ取るのだ。さらに、見てくれ給え!この作品のインナースリーヴを!文字が、文字が、文字が、The Sex Pistolsのポスターのようにまた脅迫状のように切り貼りされている。これはジャパニーズ・ホラーの名作「リング」で文字が画面に躍るシーンを彷彿とさせるばかりかアムートゥの優れたブックレット(サイコーといってもいい)の文字のアンバランスさと同じではないか!これには参った!

 

さぁ、参ったところ今夜もまた衛星アムートゥを夢見るのだ・・・。架空の世界を架空のバンドが歌う「衛星アムートゥ」を、ね。


Dark II Rhythmとは、なんだったのか?

~本庄サバービアへようこそ~

(私的ライナーノーツ)

衛星アムートゥの旅を終えた僕は、前作の「Dark II Rhythm」がなんであったのか、「衛星アムートゥ」に対してどういう役割があったのか、について改めて興味が沸き、ぜひとも文章化しておきたい衝動に駆られた。

 

「Dark II Rhythm」(以下、「ダーク」と呼ぶ)発売時にプロデューサーである青木さんによるアルバム全体および収録曲ごとの解説が載ったチラシ(いまは「フライヤー」と呼ばれる)が存在しており、GLIDERマニアであれば、ダークを聴く上での格好のツアーガイドとして(おっと、「ツーリズム」にツアーガイドとは、これ如何に?!)、空で言えるくらい読み込んだのではないか、と想像する。実はこのフライヤーのデザインは今回の「アムートゥ」用につくられたフライヤーととても似た感触を示しており、そんなところからもダークからアムートゥへ至る道のりを確認しておくことはアムートゥをより深く理解する手助けになると僕は確信する。

 

ダークを理解するためにはその前作である「STAGEFLIGHT」を再訪しなければならないが、僕はこのSTAGEFLIGHT(ご存知、The Bandの名作アルバムStage Frightのもじり)とダークの間には大きな溝があると感じている。僕はそれを「Sky Is Blue症候群からの解放」とでも名づけたい。「Sky Is Blue」は2014年のファーストアルバムの冒頭に堂々と収められた(歴史的には2012年のMonkey Job Sessionsですでにお目見えしている)は初期のGLIDERにとって、バンド名である「グライダー」と並ぶ定番人気曲だ。楽曲・歌詞ともにスケールの大きな名曲である。

しかし、「グライダー」がでいとりっぱー時代の自由さを残したものであるのに対して、「Sky Is Blue」は一般的なJ-POPぽい匂いがする。人生の応援歌っぽいのだ。文字通り、BS日テレの「挑戦へのエール~Challenge Stories Next~」のテーマソングに抜擢され、人気拡大に貢献したと思う。そしてこの曲で背中を押されたリスナーも多いと思うから、それはそれで健全になのだが、「もっと毒も欲しい」というロックにダークなパワーを求める僕にしてみれば、贅沢だがそういう物足りなさもあった。そして2016年にリリースされたセカンドアルバムSTAGEFLIGHTはその路線をゴージャス方面に拡大した印象であった。その中の一曲「GO」は新しい「Sky Is Blue」としてBS番組のテーマソングとなった。そしてアルバムにはボーナストラックに2015年に限定シングルとしてリリースされたNACK5サッカースタジアムライブ(リーグ戦中計番組)のテーマソング「OLE」も収録され、「健全で元気な」バンドカラーが強調される形になっていた。

 

しかし、そんなSTAGEFLIGHTであるが、楽曲、サレンジ、サウンドメイキング的にはSGTペッパーズ~マジカル・ミステリー・ツアーの頃のBeatlesを感じさせる不気味な部分が目立つ。この辺のサウンドが本当に好きなんだなぁと感じさせる。楽曲で言えば、僕はAloneがとても好きなのだが、この曲はダークに通じる気安さがある。しかし、歌詞という点ではまっとうで、ぶっ壊れてはいない。その意味で、このアルバムであえてダークと関連付けるならその一番手はラストに入っている「Saravah」だろう。ダークを中心にセットリストを構成するようになってからもクロージング・ナンバーとして演奏されていた。僕はこの曲の歌詞に「ほんとうの僕らはちょっと違うかも知れないよ」という示唆をみる。このラストソング(ボーナストラックはあくまでボーナストラックとして)があるお陰で彼らは「Sky Is Blue症候群」から脱出することができたのではないか、と妄想する。このひとつ前の「Everlast」というナンバーも歌詞がなかなか鋭い。「君の言葉に嘘はないのか」というラインを含む歌詞はライヴでやっていたころは後半が少し違っていたように思うが、それでも「前向きに行こう」という基本シリアスな路線となっている。そうそう、歌詞で面白いなと思ったのは「Blue Heaven」というDISCO調ナンバーが、韻というよりダジャレ的な言葉の連続できっとこの頃からサウナで作詞をはじめたのではないだろうか。

2016年2月にSTAGEFLIGHTをリリースした後はツアーをし、一旦4月でファイナルを迎えたものの、9月17日に彼ら主催のBrothers & Sistersの第3回を下北沢GARAGEで行っている。僕のような訳知りのROCKマニアだけでなく、若いファンが増え、人気も出て来たところでの自主企画で大成功であったが、これを境に4人編成のバンドでのライヴが激減するという不思議な状況に突入する。ライヴは栗田兄弟(ユウスケマサハルと名乗りっていた)での演奏が中心となり、たまにショウヘイを交えた3人で行われたものの、ベース担当のリュージが参加しないケースが普通になってしまった。そしてライヴは彼らの住む埼玉は本庄市から東京方面へ電車で30分(新宿から本庄までは湘南新宿ラインで90分)の熊谷「モルタルレコード」で行うようになっていった。灼熱地帯で知られる熊谷にあるこのモルタルレコードは1階が文字通りのレコード店として、地元のみならず日本各地のインディーレコードを集めて販売しており、その品揃えには圧倒される。またこの店のTシャツをはじめバンドのTシャツなどのグッズの量もハンパでなくインディー活動するアーティストから深い信望を得ていることが伺える。ライヴはその2階が会場となっており、踏むたびに軋む狭い木製の階段を頭をぶつけないように気をつけながらあがってゆくと、ステージ前に板の間が広がった部屋がある。窓は普通の民家のものと同じような曇りガラスの窓となっている。観客は靴を脱いで座布団に座る仕組みだ。見てのとおり、ラウドなロックは家屋の構造上無理だが、アコースティックを中心とした音楽にはとても居心地のいい環境を作り出してくれる。事実、ここで体験するGLIDERのライヴは彼らの音楽を縁側で日向ぼっこをしながら聴いているような気持ちよさに包まれる極上の体験ができる。心地よいヴァイブレーションに満ちた場所なのだ。

このままGLIDERは往年の狩人のように栗田兄弟のデュオになってしまうのか?!とヤキモキ(♪ファンキーモンキーではない)する中、年が明けて2017年1月17日、新宿紅布に彼らを観に行った。この時もデュオであったが、演奏された曲はたしか「TORIDE LIFE」を含む新曲で今までと違うかなりビターな「すいそう」など、興味をそそるものだった。ところでこの「すいそう」はまだレコードになっていない。録音してよと会うたびにお願いしていたのだが、いまだに果たされていない。2月26日には久方ぶりにリュージのいる4人編成のGLIDERを観た。要確認だが、このときすでに「オカルト」が演奏されていたのではないか?

 

そして夏が過ぎ、秋も深まる10月4日、三軒茶屋Grapefruite Moonに3人で登場したGLIDERは「ベッドタウン・ボーイ」「オカルト」に加え、「ナルシス」と「パール」を披露している。いや、そういったダークに収録されることになるナンバーを僕が初体験したのはそのタイミングだが、モルタルではすでに公開されていたのかもしれない。その日のライヴを観て、「彼らを語るのにもうBeatlesもBadfingerもいらない!」と僕はfacebookに投稿している。そして11月、ついにサードアルバムDark II Rhythmがやって来た!

題して「Dark II Rhythm」!たしか三軒茶屋のライヴの帰り、青木さんからそんな単語を耳打ちされたような記憶がある。いや、発売前にそんな情報を漏らすことはないからなんらかのヒントだけだったのだろう。

 

まず、ジャケットのイラストが風変わりだ。シュールである。そして意外にも強く感じる胎内回帰!いや回帰ではない、出発のほうがふさわしい。このトンネルは関越自動車道であろうか。そして不安定に空に現れているUFO。伝統的なアダムスキー型だ。

 

ライナーノーツと言うより歌詞カードを見ると、またしてもトンネルだ。パラレルワールドへの入り口が大きく口を開けている。その漆黒の空間に果敢にも走りこもうとするのは形こそ違えどGLIDERが愛用しているワンボックス・カーだ。そして裏ジャケには控えめであるが堂々と「けやきレコード」のロゴがある。そう、これは彼らが立ち上げたローカルにしてGLIDER王国の象徴であるレーベルなのだ。もうひとつ気が付くのがGLIDERという単語が手書きでオーガニックな印象を与える点。このロゴはいまも使われていて、意味深で等身大のアティチュードを反映している。

そしてもうひとつ裏ジャケにも歌詞カードにもリュージの名前がはっきりと書かれているのが嬉しかった。アルバムの中の曲を初めて聴いた時、マサハルと交わした会話で彼が「このアルバムはめっちゃバンド感ありますよ!」という一言が印象的だった。だってそれまでライヴと言えば栗田兄弟のデュオが中心だったからアルバムも宅録的なものなのではないか、と早トチリしていたもんだったからだ。

 

そう言えば、2016年年末くらいから彼らに会うたびに「郊外」という単語をキーワードとして聞かされていた。いつだったか群馬の温泉の帰り、本庄の夜をドライヴしながら、民家が途絶えるとそこには漆黒の闇が広がっている、そう、Bruce Springsteenの「闇に吠える街=Darkness on the Edge of  Town」を地で行くような迫力に圧倒されたものだ。そして彼らの真のホームグラウンドとなるStudio Dig周辺の郊外型コンビニや酒屋の駐車場といったものを自慢げに語るユウスケから、彼らが自分達にとっての胎内回帰を果たしたのだな、という印象を持った。

 

このStudio Digは古くからあるスタジオで、かつては2階が合宿所になっており(今は使われていない)、あの「雨上がりの夜空に」がそこで書かれたことを知った時、日本のロックにおけるこの地の重要性を感じ取ったものだ。Digはそれでも長い間休眠しており、GLIDERがそこを手入れして自分達のホームにしたことは録音に関しては桃源郷を手にしたようなものだと言えるだろう。単に広いリハーサル・スタジオであるだけなく、無数のギターやドラムなどの楽器、録音が出来る設備、コントロール・ルーム、ヴォーカル部屋・・・とにかくミュージシャンにとってはこれ以上恵まれた環境はそうそうない。

CDプレイヤーのトレイに乗せて、PLAYを押すと、Discはすぅっと引き込まれ、ピックアップがCDのTOC(Table of Contents)を読み込むキュルキュル音が聞こえたかと思うとディスプレイが1曲目を表示する。いきなりラジオのチューニング。英国のBe Bop Deluxeのアルバム"Modern Music"を思い出す。伝統的なオープニングと思えども、期待が高まる。そして呻くようなコーラスに続いてピアノの打音とともに♪君が好き~飛び切り・・・と始めるその様は大瀧詠一のソロアルバムの同じく1曲目「めまい」を連想させる。絡みつくストリングス。打ち上がる花火のような一撃が、静寂を強調する。音が似た言葉によるトリックがすでに始まっている。部屋に入るのにノックは要らない関係になったのに、いつの間にか自分が要らない存在となっている主人公が歌詞のとおり西陽のあたる部屋で過去を回想しながら曲は終わる。このオープニングは、かつて、でいとりっぱー時代にリリースされたCD-Rに似ている。「片田舎のドライヴ」というその曲は田園地帯を走っている情景なのだが、なぜか霧のためによく見えない、そんな始まり。やはり帰ってきたのだ。本庄サバービアへようこそ!

 

放心したようなまどろみから一転、GLIDER流のファンキー・ディスコ・ナンバーの「TORIDE LIFE」が始まる。ファンキーなディスコナンバーとは言え、一拍目が強調されたアレンジは1974年のジョン・レノンか。Glider's Monkey Jobあたりをルーツとした、ちょっとレニー・クラヴィッツにも通じるフィーリングだ。歌詞は、これでもかというダジャレの応酬。ここではっきりと以前のアルバムとは違うと説得される。トリデトリデトリデ・・・と繰り返されるフレーズは「部屋に砦をつくっているオタク」が連想されるが、「ひとりで(HITORIDE)生活する」つまり独身者のことを歌ったものなだろう。一人で寝るのは憂鬱か優越か。ハレーションを起こしたPromo Videoが思い出される。そして複数回出てくる「しびれちゃうのさ!」という告白は昭和時代、財津一郎氏の「キビシ~イ!」をも思いださせるが、おそらくは電気風呂に入ってしびれちゃったのがヒントになったのではないか?!笑

 

いい気になって踊っていると、突然のカットで放り出されるが、それを次の「市営住宅~Dystopia Lovesong~」がさわやかに掬っていく。爽やか?本当に爽やかなのか?!冒頭のギターはいきなりのチョークダウンで音を取っており、思わずほくそえんでしまう。♪Hi Baby!(歌詞カードは「はいベイビー」だ)なんて気楽な掛け声で始まるが、歌われているのは本庄ローカルな内容で、昼には起きてファミレスに行く彼らが目に見えるようだ。GLIDERにファミレスと温泉は欠かせないマストアイテムだ。そして「バイパスまたぐ鉛の虹」(すでに歌い方のトリックも発揮されていてちょっと聴くと「バイパスまたぐな」と思ってしまう)というシュールな風景をバックに出てくる「こちら人口衛星」という単語。広い郊外ならではの情景がそこに見える。楽曲的にはキーがEのイージーな8ビート・ナンバーに聞こえるが、これまた1970年代のジョージ・マックレーの"Rock Your Baby"やカール・ダグラスの"Kung Fu Fighting"的な16ビートなチャカポコで、正統派の「TORIDE LIFE」のあとを受けた実にダンサブルなナンバーなのである。そういえば青木さんがさかんに「16のノリを出さないと」と言われていたがまさにこのナンバーはそのいい例だろう。曲は途中で半音転調してFのキーで曲は終わる。DystopiaなLovesongだけあって、ここで歌われるガールフレンドは退屈しのぎを待ってるヴァンパイアなのだ。このあたりの設定がすでにSF的で面白い。

続くは問題作「関越シャドウ」だ。ん?何。関越「シャドウ」?Shadow Dancing、アンディ・ギブか?サタデイ・ナイト・フィーヴァーじゃあるまいし、騙されてはいけない。「関越」と来たら「自動車道」と来るのが関東者よ。そう、「自動」を省いて「シャドウ」なんだろう。僕は騙されないぜ。

 

アムートゥの私的ライナーノーツでも書いたようにこの曲には「無人塔」という単語が出てくる。結構、無機質に走るんだよな。かったりぃ~って言いながら左車線に恋が流れ、追い越し車線に愛がせめぐわけだが、すべては「踊りません」に繋げたかったのかと思う。でも薄暗い午後の関越自動車道に影(シャドウ)を落とす団地や無人塔と上手く呼応したタイトルだと感心する。サウンド的にはマサハルのギターがストーンズの"Dance"で聴けるキース・リチャーズのコードワークを思わせるのが僕としては嬉しい偶然だ(そう言えば、このアルバムもアムートゥもマスタリングを担当したエンジニアの塩田氏が「無人塔」を"Dance"を念頭に置いてマスタリングしたと最近ツイートされていたが、ここにもアムートゥへの鍵があった訳だ)。

 

続く「サンダーソニアの黄色い太陽」はショウヘイだけ出演してひたすらドラム演奏をしているPromo Videoが記憶に残っているが、マサハルらしいロックで歌詞に「ミサイルづくしの空の上」ってあるからちょうど北朝鮮がミサイルを日本に向けて飛ばすとかのニュースが僕らを怯えさせていたこともあったので、あれってそれ?と指摘したが、直接の関係はなかったっけ(苦笑)。しかしYellow!っていう繰り返される叫びもポリティカルな匂いがしたもんだけどな。ハードで熱狂的な曲なのに歌詞はひとりぼっちで閉塞感すら漂う。

このアルバムは「もうBeatlesもBadfingerもいらない」と言い放った僕だが、その代わりに70年代のディスコだとか、16ビート的なニュアンスを持った楽曲が多いのが特徴だ。「ベッドタウン・ボーイ」もそうで、この曲から僕はドナルド・フェイゲンを思い出した。よく知られたアルバム"The Nightfly"だ。モノクロジャケットが粋なこのアルバム、どこかノスタルジックなところもあり、フュージョンとは言わないまでも当時ソフィスティケイテッドな音楽が苦手な僕にしては珍しく手に取り、買ってしまった一枚なのだ。聴いてみて、ん・・・これはちょっと違うと思ったものの、ジャケットを裏返してみてびっくり。アメリカの少し郊外の家の夜の風景!これに参った!え?待てよ、これこそ「郊外感」そのものじゃないか。町外れの暗闇、だ。

 

さて話がずれてしまったが「ベッドタウン・ボーイ」は東海岸のちょっと爽やかな秋の初めを感じさせる。それはユウスケの「共同墓地」と言う単語を「キョウ・ドウ・ボチ」と明瞭に発音することろからも感じられる。「キョードーボチ」ではない(ましてキョードー東京じゃない)。そういえば「市営住宅」の「人工衛星」をマサハルは「ジンコー・エーセイ」と発音しており、まだ「エイセイ・グッバイ」になりきっていないのを発見した。この「ベッドタウン・ボーイ」はおそらくかなりそれまでのGLIDERぽくないナンバーなんじゃないかと思う。「成長したな」という感じ。

 

そして「オカルト」。この柔らかな懐かしい素直さはどうだ。僕は「♪まわり道をして帰ろうよ」のラインで一気に20代に戻り、好きな人と一緒にいればまわり道こそ選んだものだったじゃないかと想いを馳せたら思わず涙を感じてしまった。CDを聴いてるときなら構わないがライヴ会場でこの純粋さの波が来るとやばかった。無理に笑ったりしてさ!笑 マサハルにこの曲の話を聞いた時、歌い方をとても気をつけて童謡のようにしたかったと言ってたのが、まさに我が意を得たりであった。モデルとしてはアレックス・チルトンを意識しながら歌ったそうだ。このでいとりっぱー時代の「夜の麦藁帽」的な、まさに往年のマサハル調の曲、平易にみえて、その「まわり道をして~」のところで、GのキーからなんとFに転調する。そして何もなかったかのようにGに戻る。その間の約20秒がまさにUFOに攫われてまわり道をしたかのような体験をさせてくれる。

そして、そんな「オカルト」から一転、「Fruit Watching」がとりとめもない感じで始まる。「♪雨上がりを滑り出そう~」なんていかにもサンキスト・オレンジみたいなカリフォーニャ的陽気さがあるが、終始のスキャット、AメロBメロと言った決まりのない風変わりなナンバー。ここでもマサハルのギターはアンペグに突っ込んだキース・リチャーズみたいな音色だ。フェイズ・アウトしたようなそれでいてざらざらっとした手触りもある不思議な音色。ところが、このかなりエスニックな風情の曲は中間部のブレイクで「あれ?なんかスーパーマリオじゃん??」て印象に変わる。彼らのファミコン好きは温泉やファミレスと並んで特質すべきだろう。僕はまるっきり弱くてへたくそなんだが、なぜか付き合わされて一戦を交えたことがある。結果はご想像のとおりだ。しかし、この歌がすごいのは、エンディングに向かって不条理というか意味不明な文章がレベルアップして行くところだ。「♪虹色果実を喰らえ かたいベイビー きたいはずれのベイビー やぶれかぶれのぼくの 銃にタネをこめshoot」。この歌詞をライヴではエッグ・マラカスを振りながら歌っていたんだなユウスケは。「♪ニージ・イッロ・カージュッツ・オー」のくだりはライヴ会場の名前と入れ替わったり、それをコール・アンド・レスポンスでやったり、なかなかのエンターテイナーぶりを発揮していた。

 

さて、ダークも残すところ2曲。まずはモータウン~マーヴィン・ゲイの色濃いナンバー「ナルシス」。大袈裟なイントロからマーヴィン・ゲイの「なにかの曲」が始まるんだが、最初"What's Going On"と思ったその曲は実は"Mercy, Mercy Me"だったのだ。だからといってオマージュだとかそんな感じはあまりはない。C⇒Amの典型的なブリル・ビルディング的アメリカン・ポップスに度肝を抜かれた。そして歌詞はといえば「♪だってぇ、泣いたってしょうがないじゃーん」と来る。そしてトリデトリデトリデ・・・よろしく「ナンデナンデナンデ・・・」というコーラスが耳に付くが、そのあとがわからなかった。歌詞カードをみたら「んんgirl」だった。ここんとこテンプテーションズとかのモータウン。ソウルグループぽい!テンプテーションズをはじめ、70年前後のスティーヴィ・ワンダーなどのモータウンはダークを音楽的面から解く鍵だ。そのgirlは魔法みたく光ったり、火星みたく光ったりしながら僕からいろいろ捲き上げていく。そしてラストの一撃「なさけようしゃの予定もなく」「底冷えのわすれじに死す」と歌は終わる。この最後のラインを聞き取って理解できた人を僕は尊敬する。

そしていよいよ「Pearl」でダークな観光案内は終了する。このスケールの大きなナンバーは、歌いだしの「♪恋をください 抱きよせたら・・・」と言う言葉も手伝って、あのSky Is Blue的スケールを感じさせるが、人生の応援歌とはまるで違う、荒涼とした風景が見える。冬の日本海の海岸で打ち寄せる波とそこに残された廃屋、その壁にもたれた恋人たち。題名のパールは海底でじっとその時を待つ真珠になぞらえたものか。うまいなぁと思ったのは「恋をください」と「廃屋に背を」が見事に言葉の音という意味では呼応しているってことだ。この曲はそういう意味ではダークとアムートゥを繋ぐラスト・ポジションにある、と言ってもいいと思う。

 

この曲をはじめ、ダークにみられたLove songがアムートゥではなくなり、その代わり、一見、人間だが、よく観察すると、とても似ているが実は宇宙人という彼らが架空のバンドを装って意気揚々と奏で、演じるSFチックなサイボーグ・チューンがいっぱいになってるのだ。そうそう、そのアムートゥの幕開けとなる「衛星グッバイ」がDark ll Liveと題された2018年4月7日@三軒茶屋グレープフルーツ・ムーンで早くも登場しているのライヴ動画があるのでここに貼っておく。まさかアンコールが新曲だとはほんとうに意味深だ。