KAMIKAZE!

このコラム#10で東京ロッカーズとの出会いを書いたが、それに触発された僕は会社の一年先輩のToshiと大学時代の友人Junとパンク・バンドKAMIKAZE!を組んだ。

 

このバンドは僕がギター&ヴォーカル、Toshiがベース&ヴォーカルそしてJunがドラムスというトリオだった。レパートリーはToshiのオリジナルが8割、僕のが2割という感じだったが、The DamnedがファーストアルバムでカバーしていたI Feel Alrightをそれに加えた。Toshiはそれ以前に一緒にThe Intelligence Lostをやっていた仲だったが、カバーオンリーの選曲に嫌気がさした僕が抜けると彼も抜けてきて、一緒にバンドをやろうということになったのだった。Toshiは出会ったときすでに独学で英国英語をマスターしており、彼のオリジナルは歌詞が英語だった。

 

Toshiはそれまでベースギターを触ったことすらなかったが、高価なFenderのプレシジョンを購入し、おまけにリード・ヴォーカルも執るというまさに当時のパンクロックのチャレンジ精神を地で行くような行動にでた。夜な夜な猛練習を重ねたようで、みるみる上手くなり、結成2-3か月で人前で演奏した。1979年12月、ドラムスのJunが友人と企画したパーティで場所は六本木のS-Ken Studioだった。ラストのI Feel Alrightでは、エンディングでToshiが雄叫びを上げてベースギターをアンプに接近させてフィードバックを起こしたり、自由奔放なコードをかき鳴らしたり、それに答えてドラムもフリーフォームで叩いたりと、かなりアヴァンギャルドでワイルドな展開を観客が面白がり、立ち上がって歓声を上げてくれ、初ステージは大成功だった。

 

そもそもなんでKAMIKAZE!と名乗ったかというと、Toshiの渡英が年明けに決まっており、なら期間限定な名前にしようという彼の発案だった。渡英はトレーニー(現地時法人で丁稚奉公するみたいな感じだ)という名目で2年間ロンドンへ駐在するというのだ。その間のKAMIKAZE!の行動は目覚しいものがあり、年が明けて1980年1月のトレーニー歓送パーティでの演奏に並行して今で言うインディーズ盤の制作に取り掛かった。これは20cmEP(4曲入り)というカタチで完成し、200枚作った。そしてラスト・ギグとして目黒鹿鳴館隣のMad Studioに友人達を招き、スタジオ・ライヴをおこなって、解散した。

※KAMIKAZE!は下のLINK先に情報あり。

ロンドンへ!

1980年7月、僕は意を決してロンドンへ向かった。生まれて初めて正真正銘の海外旅行である。

 

人ははじめて訪れた外国の土地に対して、それがいい体験であったならそこが大好きになるし、いやな体験だったら逆に大嫌いになるというものらしい。憧れと言う意味ではニューヨークが筆頭に上がっていたが、当時のニューヨークはおっかないというイメージが先行していたし、なにより、洋楽に目覚めてから一度は行かなくてはならない聖地になっていた英国にToshiがいるうちに、と思い立ったのであった。

 

旅費は安くまとめて、その分買い物と思っていたので、南回りを選び、わざわざ早稲田の学生相手のチケット業者に買いに行った。いまなら直行便で12時間とかで行けるけど、南回りはなんと23時間!貼り付けたのは帰国後Change 2000に寄稿したダイジェスト版だが、その冒頭にもあるように、まず中華航空かなんかで香港へ行き、そこでキャセイパシフィックに乗り換えて、ロンドンへという段取りだった。経由地は台湾、シンガポール、ドバイだったかな。その間太陽に向かって飛ぶわけだから時差に次ぐ時差で離陸するたびに食事が出る。終いには食事はいいから寝かせてちょ、になっちゃった。

 

このロンドン紀行は別途コーナーを設けたいと思うけど、まぁ、初めてのこともいろいろあり、珍道中だった。おかしかったのは香港の乗換え。時間がないというアナウンスに焦らされ、空港内を走って角を曲がったら、机を構えた女性空港スタッフがふたり、僕に向かって手を差し伸べていた。僕はてっきり歓迎さているんだと思い込み「ヘローヘロー!サンキュー!」と叫びながら彼女達と熱い握手を交わしたら、なんと荷物検査だったというオチ。もひとつ、今だからこそ笑えるネタとして、ロンドンのB&B(Bed & Breakfast)で初めてベッドというものを目の前にして「さて、どうやって寝たらいいのか?」とマジで悩んだこと。ベッドメイキングされてシーツやブランケットがキツくセットされており、持ち上げようにも動かない。これはきっとこのままどこかの間にもぐりこんで寝るのだろうと思い、シーツとベッドシーツの間に挟まって夜を明かしたのだ。仰向けで、両手を体の脇に付けた姿勢で、まんじりともせず、「火事になったら逃げられないだろうなぁ・・・」と思いながら眠りに落ちたわけだから、未経験とはおかしなものである。

 

ロンドンでは日本ではなかなか手に入らないレコードを買ったり、Rough Trade行ってみたり、ミックとキースの故郷、ダートフォードへ行ってみたりしたが、80年というとパンクロックも過ぎ、しかも7月末から8月頭は夏休みというか目立ったGIGもなく、観たバンドはチェルシー、UKサブスといったまぁ、日本では観れないだろうがあまり僕の興味の対象ではなかった。ZELDAからGreatwallのある人物(彼はその年に来日していた)に渡して欲しいと託されたTシャツとカセットも結局会えずじまいだった。それでも僕はロンドンというとレゲエのイメージが強いのだが、それは訪問中、ポートベローやそこここでレゲエが流れていたことによるのだろう。ロンドンの夏の午後の日差しの中、さ迷い歩いた街路に流れるレゲエというイメージが強烈だった。

※ロンドン紀行は以下のリンクから行けます。

#13へ続く