ギター事始め

1974年4月、これがそのギターである。

 

この写真自体は少しあと、大学で音楽サークルを興し、最初のコンサートをやった時のもので76年2月のものだ。その話はまたあとでするとして、グレコのアコギと言うことで今でも使っているが、結構珍しがられることが多い。でもいつだったか、とても丈夫なギターなのでバスカー(バスキングする人たち=道でやる人たち)愛用だとも読んだことがあるが、ほかに使っている人に会ったことがない。ボディが小ぶりなので深みのある音はしないが、チューニングもあまり狂わないし、いいギターだ。

 

一緒に買い物に付き合ってくれた友人からGUTSとか雑誌を借りたような気がするが、その頃流行っていた四畳半フォークは嫌いだったし、なによりビートルズを弾きたかった。それでも最初はチューニングもろくに出来ず、というのも買ってから2,3ヶ月、かなり低い音にチューニングしていたのだ。いまのようにチューニングメーターがあるわけでもなし、音叉をポォーンと鳴らして合わせるのだが、それまで音楽の時間に聞いたことがあるような微妙な音なので簡単にはいかない。ポォーンと鳴らしたら手元の球を耳に当てると言うテクニックを知らなかったので余計うまく行かなかった。また弦を巻き上げるのに切れてしまうのではないかという恐怖心も正式なチューニングを妨げていたと言っていいだろう。

その「ズレ」に気づいたのは「抱きしめたい」のキーがGだというのを知った時だった。あれ?合わないぞ、となり、もしかしたらチューニングがあっていない(6本の中では合っていたが、肝心のA=440になってなかったと言う意味)のかと思い、3フレットでGになるまで弦を巻き上げた。どんどん強くなっていくその張力は僕をびびらせたけれど覚悟して巻き上げた。いまでこそ笑い話だがそんな感じだった。

 

楽譜が載っている雑誌はGUTSのほかに新譜ジャーナルやライトミュージックがあった。そのライトミュージックにチャック・ベリーの弾き方というのが載っていた。あのトレードマークのボトムリフ、5弦と6弦で弾くあれだ。曲はSweet Little Sixteen、講師は井上堯之氏だった。そうか、こうやって弾くのかと理解したものの、やってみると難しい。夏休みだったので朝から晩まで一日8時間も弾いていた。毎日のように弾きまくっていたので指先が冷えてきて、夏なのにこんなに冷えるなんて病気になったか?!と思ったものだ。

 

ビートルズは歌本・ビートルズ80を見ながら弾いたが、原曲とキーが合ってなくて、苦労した。万年筆でレコードのキーを書き加えた。最初はおっかなびっくり「ノルウェーの森」などを弾いてみた。Em7というかあまり難しいコードフォームもなく楽だったが、雰囲気を出すのは容易ではなかった。コードに関してはコードブックを買い、指を一本一本置いて、覚えていったものだが、テンションコードも多く載っており、なにがなんだかわからないのもたくさんあった。実は当時、浅田美代子がえらい人気で同級生だったこともあり、ファンだった。実際、高校で隣の隣のクラスにいたヤツで故郷が同じで小学校だったかが同じというヤツがいた。まぁ、それは置いといて、雑誌に「虹の架け橋」の楽譜が載っていて、それを弾いてみたら、なかなかよかったのでずいぶん練習したものだ。AとかC#mとかF#mとかC#7とかそういう込み入ったコードはこの曲で覚えたと言っていい。

アルバイトをしてステレオを買う

依然としてラジオ主体のリスニング環境だったが、週間FMに載ってた自作コーナーの長岡鉄男氏設計のスピーカーシステムを作ってラジオに繋いで聴いていた。そのスピーカーシステムはふすま大のハードボードを4つに切って、2つずつ合わせ、そこにスピーカーをはめ込み、屏風のように立てるというものだった。しかし、大学に入ったことだし、レコードが買いたかったので、とりあえず、ラジオに接続するレコードプレイヤーを買った。そして初めて買ったアルバムが「ビートルズNo.5」だった。

 

なぜこのアルバムなのか、記憶のいい読者はピンと来たと思う。そう、母に頼んで朝、録音してもらったビートルズ特集がYou've Really Got A Hold ON Meが始まるや電波が乱れ、切れてしまったそのリヴェンジなのだ。録音されてなかったアルバムは米国仕様のキャピトル・オリジナル・シリーズのBeatles Second Albumだったからそれを買ってもよかったのだろうが、そっちが11曲しか入っていないのにこのNo.5は14曲入ってお買い得だったのでこっちにしたんだ。

 

これをラジオに繋いだレコードプレイヤーで聴いてみたが、なにか迫力が出ない。とくに低音は圧倒的に出ていない。これはLPの音がよくないのだろうと思っていたが、高校時代新聞部をやってた例の友人宅に遊びに行った時、彼の自慢のオーディオで掛けてみたら、ぜんぜん迫力が違う。やはり機材を揃えないとだめだと思い、夏休みになって初めてのアルバイトに就いたのだった。

 

このアルバムの前に、はじめて手にしたシングル盤があり、それはチック・コリアの「スペイン」だった。自分で買ったのではなく、毎週聴いていたNHK浦和FMウラワミュージックサタデーで当たって貰ったものだ。この番組ではほかにリンゴ・スターの「想い出のフォトグラフ」とストーンズの「ブラウン・シュガー」も貰った。リンゴのときはクイズで、問題はたしか「エルトン・ジョンのクロコダイル・ロックはあるオールディーズにヒントを得ていますが、その曲は?」と言うものだった。リスナーは電話で回答をするのだ。答えがわかって急いで電話番号を廻した(黒電話だったのだね)。うまく繋がって「ニール・セダカの『おお、キャロル!』です!」と得意になって答えたら当選!マジで嬉しかった。放送局が近所だったこともあり、このあと公開番組で訪ねたり、初めて組んだバンドのメンバーと一緒に行ったり、なにかと参加したが、それが縁となって20歳の時にNHK TVの全国放送に出演することになる。

さて、夏休みになってアルバイトをしよう!と思い、新聞の人材欄を見ていたらサイタマのイーストサイドの西友ストア内のカメラ屋が募集しているのを見つけた。ドカチンなどの肉体労働は向いてないと思っていたので、カメラ屋ならいいなと思い、早速応募した。初心者でも問題ない、と言うことだった。無事採用され、店に出ることになった。カメラ屋と言ってもDPEも兼ねているので、フィルムを持ってきたお客さんにどんな風に仕上げますかを聞いて、フィルムを袋に入れ、引換券を渡し、フィルムは業者に引き渡すというのが日課だった。店には店長のO野さんという紳士と若い女性の社員がいて、僕のほかにバイトの男の人がいた。少し年上の人で、非番の日も浴衣でやってくるような近所の人だった。

 

初日、その人が「おい、腕相撲やろうぜ!」と言うのでショーウィンドウに肘を乗せて、せーの!ってやったら、バリバリバリっと音を立ててショーウィンドウに亀裂が走った。二人とも、あ、やっべ!と思ったが、入ってしまったヒビは元に戻らない。しばらくすると店長が戻ってきた。ヒビを見るなり「どうしたんだ、これは?」と僕らに質問した。先輩のバイトの方が「ええ、お客さんが荷物を置いたらですね、バリバリっと・・・」と言い逃れをした。店長は「んな、バカな」という顔をしたが、やっちゃったものはしょうがないのでテープを貼って、ヒビが拡大しないようにした。そのテープはかなり長い間貼ってあった。

 

初心者OKと言っても僕はカメラを触ったこともなかった。店長は映画を撮ってた人で、かつてTVで人気のあった文明堂のカステラのCMを制作したのは俺だ、と言ってた。羊の人形が出てきて「♪カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂~」というあれだ。その店長が写真の撮り方を教えてやると言って、まずカメラの持ち方から教えてくれた。「こうやってな、手のひらに乗せてシャッターを押すんだ。カメラの両脇を持ってるのは素人だ」と教えてくれた。まだカメラを持っていなかったから借りて練習したものだ。

 

ある日、朝、仕上がって袋に入った写真がいつものように配達されて来た。先輩はそれをごそっと摘み上げたら、ちょうど下にあった掃除のバケツに落ちてしまったことがあった。大事には至らなかったが、かったるい朝だった。僕は僕でカメラにフィルムを入れたまま持ち込んできたお客さんからフィルムを取り出そうとしてあちこちいじっているうちに開閉ボタンを触ってしまい、カメラの蓋が開いてしまった。あっ、と思ってすぐに閉めたが、お客さんから「あーーっ、いま開けたでしょ!」と咎められ「いやいや大丈夫ですよ」と根拠のない返事をしたこともあった。

 

またある日、寝坊して遅刻しそうになり、店に向かうバスで店長と一緒になった。僕らが先に行って店を開けておくことになっていたので実質的な遅刻だ。店長は「店が開かないのが一番まずい!」と言いながら、バスの中でネクタイを締めようとしてあたふたしてる僕を見て、ネクタイを締めるのを手伝ってくれようとしたが、ニットタイだったのでぐにゃぐにゃでなかなか締められず、「なんだこれ腐ってるのか?!」と叫んでいた。

 

そのバイト先には夏休み、冬休みと通った。年末になるとフジカラーなどから出張店頭販売員がやって来た。僕はそこに廻され、いらっしゃい、いらっしゃいをやるわけだが、注意を引こうとしてその販売員と一緒にジャンプしたり叫んだりした。フロアは相当うるさかったと思う。給料は高いほうではなかったが、バイトなのに楽しくやらせてもらい、また夏休みに店長宅に皆で遊びに行ったりもした。店長の奥さんは色白の方でニックネームが「サメ」だった。そこで入ったお金で僕はステレオコンポを買い、オーディオ設備が整うのである。