タイクツってヤツにケリ入れて!

80年代に入って、かつての東京ロッカーズも解散や分裂やメンバーチェンジを繰り返し、かたや新しいバンドも次々と登場、音楽性や姿勢もマイルドというか、「爆発」一直線ではなくなってきた。僕は相変わらずS-KenやFriction、リザードといった老舗を追いかけていたが、S-Kenと共演したホルモンズの連中と仲良くなった。

 

彼らは若く、最初はビートも重心が高い感じだったが、のちのホットボンボンズのメンバーになる佐野篤君が加入して衣装もダークスーツになった頃には装飾を落としたシンプルでファンキーなロックンロールバンドへと変貌を遂げていた。顔見知りになるうち、ヴォーカルのシゲツグからストリート・スライダーズというバンドの存在を知らされることになる。

 

ストリート・スライダーズ、名前はGIGのチラシで見かけたり、当時の情報誌、ぴあやシティロードでも見かけていたが、名前にストリートが入っているためにあまりに直接的な印象でイマイチ食指が動かなかった。

 

シゲツグは僕に「Honky Tonk Womenとかカバーしてるけど、ストーンズというよりエアロスミスみたくなっちゃうんですよ、ジャー!みたいな感じで(笑)」と言う風に彼らを形容した。ホルモンズは福生辺りから出て来たバンドでもあり同じく中央線(というか青梅線か?)の奥にいたスライダーズのことは馴染みだったのかもしれない。そんな情報が先に入ってきてはいたが、彼らをはっきりと認識したのは宝島だったかPlayerだったか思えていないけど雑誌からだったと思う。Liveを観るより先に僕はレコードを買った。シングル「Blow the Night!b/w のら犬にさえなれない」とLP」「スライダー・ジョイント」である。

EPICソニーから発売されていたそのレコード、まず、礼儀としてシングル盤から聴いた。A面より断然B面がよかった。なんとも憂いのあるナンバーに感じたが、エンディングで歌なしでAメロを一周するところがなんとも素晴らしい。そしてアルバムも小気味いい楽曲とミスタッチでさえ気にならないラフでぶっ飛ばす感じがたまらず、そのまま5回、聴いた。そのすぐあとS-KenのGIGでそのことをアンドー氏に喋ったら「いいね、そんなに聴いてもらって・・・」と若干皮肉めいた調子で返されてしまった(苦笑)。オープニングはシングルと同じ「Blow the Night!」だが、続く「ダウンタウン・サリー」のロックンロールのあとはストーンズサウンドの「あんたがいない夜」だ。メンバーはハリーと蘭丸がギターでベースはジェームズ、ドラムはズズと言った。ハリーのキース・リチャーズ流儀の5弦ギターとおそらくアンペッグを使っていると思わせるリズムギター。そのタイミングのカッコよさ。それに蘭丸のブルージーだがキラキラした(ハリー談)リード・ギターが絡む。リズムセクションは80年代の4-on-the-floor的ビートのストーンズに似て、カラッとしている。ディスコ調ベースがMiss Youを思わせる「すれちがい」とか何が、と問われると即答できないが、あれもこれもストーンズ、と言った色を感じる。ストーンズ・ファンクラブの僕でさえ、はまりにはまった。スライダーズ以前となるとルージュ~スクリュー・バンカーズと言った先輩ストーンズ・チルドレンもいたが、スライダーズは聴きやすかった。もっとも初期の頃は僕みたいなマニアを中心にファンが多かったと思う。

彼らは荻窪新星堂でのオーディションからメジャーデビューして、お礼参り(!)にその荻窪新星堂でGIGをやるというのを知り、観に行った。僕はそのとき隠密録音をしているが、そのカセットはいまは聴くことが出来ない。セットリストなんていう言い方はなかったが、デビューアルバムから数曲演奏した。気に入らなければ演奏をやめて帰っちゃうとか、ほとんど喋らず淡々とステージを進めることなども手伝って僕より少し年下だったが、リーゼントのバンドとは違う意味で怖いバンドだった。ちょうどその頃、僕はカミさんと出会って、彼女もストーンズが好きだったので一緒にスライダーズを何回も観に行った。とくに印象に残っているのが埼玉会館のGIGと原宿のモリハナエ・ビルでのファッションxロックンロールのイベントでの演奏で前者はセカンド・アルバムからのSo Heavyやサード・アルバムからのChandlerを初め完璧なストーンズ・マナーのロックンロールにノックアウトされたし、後者は招待客のみのシークレット・ギグで元ニューヨーク・ドールズのジェリー・ノーランがドラムを叩くロンドン・カウボーイズとフランスのドッグズが共演した。かぶりつきで観た光景はいまも記憶に鮮明だ。

そうだもうひとつ印象的なGIGがあった。新宿ACBでストーンズ・ファンクラブが主催したイベントにNeedles & Spoonsという変名で出てた。この時はほかに1984も出ていたっけ。

 

ファンクラブのイベントなのでストーンズのレパートリーを何曲も演奏した。といってもストーンズがカバーしてたAround & AroundとかWalking the Dogとかだったけれど曲間のチューニングでMidnight Ramblerでのギターの掛け合いをさりげな


く演奏したり、ファン・サービス(?)もあった。こういったカバー曲は彼らのGIGでもその後も聞くことが出来たがほかにSweet Little Sixteenなんかもストーンズ81年ヴァージョンでやっていた。スライダーズはこのあともレコードが出るたびに買っていたが、「天使たち」あたりから本格的にメジャーになってストーンズ・マニア以外の一般の人もファンが増え、GIGの会場も大きくなったり、テレビへ出演したりしたが、なぜか反対に僕の興味は薄くなっていった。彼らはリトル・ストーンズと呼ばれるほどそのルーツはストーンズであることは顕著だが、実はビートルズも同じくらい大きな存在だと気づいたのは3枚目のアルバムだった。

 

そのアルバムは僕にとって初期のスライダーズの頂点で、そのあとはLIVEが出たり、英国で録音したり、だんだんBIGになって行った。ロンドン録音の「夢遊病」、マイケル・ハルスバンドが写真担当したんじゃなかったかな。ロンドンの街をスライダーズ・ファッションで歩いたらみんな避けてったなんて記事が可笑しかったのと、英国は電圧が高いからサウンドが日本と違う、っていうのも興味深いコメントだった。そして佐久間氏がプロデュースした「天使たち」。だんだんストーンズ路線から離れて彼ら流の音楽をアウトプットするようになって行った。こう書くと、なんだキミはストーンズの真似っこ時代のスライダーズが好きなのかい?!って言われそうだけど、ちょうどそれはデビュー直後のキャロルがそうだったように野心と勢いと自分達のルーツを隠しもせず(隠すこともできずと言ったほうがいいかな)、これが俺たちだぜ!っていうパワーがどうにも僕のロックンロール・ハートを捕らえて離さなかったせいだと思う。

 

先に書いた「のら犬にさえなれない」にすでに見られたように、ハリーの書く歌詞がまたよかった。しかし一方で、アルバムを重ねるうちに熟してきたっていうか、フォークというと語弊があるが、70年代初頭のジャパニーズ・ロックを思わせるような面が強くなっていった気がする。それと引き換えに初期のリフがひたすらカッコいい楽曲が減っていったように思った。そうそう、彼らの中にあるビートルズを感じたのはJag OutのOut Door Manなんだ。どこがって言われるとこれまた答えに窮するけど笑。のちにインタビューでハリーがすごいビートルズ・ファンだと知って、ああ、やっぱり・・・!と思ったものだ。

これがストーンズ・ファンクラブのイベントに出た時のスライダーズ。

つづく

エコーズって?