エッセイ:サブスクその1

●最近、サブスクという言葉をよく聞くようになった。モノからコトへなんていうのも聞き飽きたが、モノを持たない主義も増えているようだ。翻って僕自身はどうだ。モノまみれの生活をしているが、持ってることが重要と思っているから始末に追えないね。そんな想いを書いてみた。2019年5月29日作。

最近はサブスクがハヤリだ。

 

 

サブスク、正式にはサブスクリプションという。日本語で言うと定期購読みたいなものだが、読むモノだけに限らない。定期的に料金を払って継続的にモノやサービスの提供を受けるという仕組みだ。だったら牛乳や新聞などのように昔からあるものもあるが、昨今のサブスク伸長の裏には、以前なら買って持っていたものを持たないで済ます、という意識の変化がある。その点ではレンタルと似ているが、レンタルが必要に迫られて特定の期間、借りて使って返却するというものであるのに対し、サブスクはとくにイベントがあるわけではないが、生活にベーシックに必要なものや趣味のように生活にプラスアルファを与えるものを、継続的な支払をして使う場合の仕組みで、その意味では賃貸住宅などは元祖サブスクなのだろう。

 

 

 

そういう流れの中で、モノを持たないで生活するというライフスタイルに乗り換えていくのが友人の間でも増えてきている。いらないものを持つ必要はないが、持っていたいものがあるのはたしかだ。典型的なのがストリーミングと呼ばれるエンタメ系のサービスで月々定額払いで音楽聴き放題、映画見放題というやつだ。月にいくら払っているの?と聞くと、千円ぐらいかなという答えが返ってきて、なに?俺なんかいまだにCDを月千円以上買ってるじゃんみたいな現実に一瞬、狼狽してしまう。一枚300円だったとか定価何千円のものが千円以下だったりするとかなり得した気分になって得意げにSNSに投稿して読んだ人に悔しい思いをさせているのだが、千円で聴き放題となるともう完敗である。

 

 

 

しかし、負けず嫌いを承知で言うと、「何でも持っている、というのは何も持っていないと同じ」じゃないか、と思う。何でも持っている、すなわち「自分の意志で持っているものは何もない」のである。ストリーミング主義の人は「キミのコレクションをみせてくれよ」と言われて「あ、そういうのはないんだ。だって聞きたいときに聞きたい曲を聴けるんだぜ。コレクションなんていらないよ」などと返事をするであろうことが容易に想像できる。その通りである。しかし、コレクションとはただ持っているとか家にあるというものではなく、その人の持つ特定の意図に沿って集められたものであり、コレクションをみればその人のセンスが分かってしまうわけだ。そこには実際に身銭を切って選択するという本気さがあり、本気であるがゆえにその人自身を反映するものになりえるのだ。だから全曲コンプリートなボックスセットを手にしたときの「全部あるという安心感」は、「ストリーミングでなんでもある」というものとは根本的に違うと言うことができる。一方、ストリーミングサービスはどうだ?PLAYLISTなどと言って自分が集めたものを構築することはできるが、これとこれにタグを貼ってヴァーチャルに所有しているに過ぎないから契約が切れればなくなってしまうかもしれないし、サービス提供者が「もうやーめた」と言えばなくなってしまうものなのである。

 

 

 

しかしながらモノを所有するというのは場所も取るし、持っているがゆえに聴きたいときに対象物を探すという行為が必要になる。これがうまくいかないと持っているのに買ってしまうとか、見つからないからYouTubeで済ますという愚かな行為を犯す事態になりかねない。持っているCDなりレコードをPCやスマホなどのデバイスに移植して、一発検索を得意とする御仁も当たり前に存在するが、これはこれでせっかくモノを持っているというのにモノに触らずにコトを為すのはなにか虚しい。流石に持っている書物をデジタル化してデバイスにぶち込んでいるという人はいないと思うが、持っているものにイージーにアクセスするには整理術となんといってもそれなりのスペースを必要とする。僕もそうだが、もはや居住スペースとのせめぎあいバトル状態になっている人も多いと思う。スペースがないから購入をあきらめるというケースも多い。

 

 

 

ところで、ストリーミング・メディアを考えるとき、ひとつ重要なポイントがあるのに気が付いた。それはひとつの音源を多くの人が聴く、ということだ。当たり前のように思えるかもしれないが、これは結構大きなテーマである。かつてアナログ・メディアだった時はとくにそうだったが、同じアルバムあるいは同じ曲であっても国によって、あるいは同じ国であっても発売時期によって聴ける内容が異なるということが起きていた。CD時代になって世界統一規格が普通になり、アナログLPにみられたようなバラつき(ミックス違い、テイク違い、こまかいところではカッティング違いなど)が大きく減少した。これは品質管理が向上し、対象物を安心して買える状況になったという点ではいいのだが、いいにつけ悪いにつけ、買ってびっくりなんだこれというのがなくなって面白さが減ったということでもある。

 

 

しかし、ストリーミングとなると、同じものを皆が聴いているわけで、個人個人で持ってるものが違うということは仕組み上、もう起こりえないし、むしろ同じお金を払っているのに聴ける内容に差があってはいけないのである。以前のように品質が統一されていないほうが問題と言えば問題なのであるが、逆にそれがコレクションを面白くしていた面があることは否めない。コレクションを作るわけではないから、ほかの人が持ってないものを自慢するという行為自体が意味をなさなくなっているわけで、同じソースというのが重要なのではあるが、こうして画一化がまた一つ強化されるというのは、真面目さが強調される気がしてなにかさみしさを感じるのである。


SF

人生はMaaS

●これは2019年4月に書いた最新作。日本でもスタートアップや観光業、また彼らと組んで町興しを狙う地方自治体、さらに国のキモ入りで展開されつつあるMaaS = Mobility As A Service。要するにこれは旅行や日々の移動を鉄道、バス、タクシー、レンタサイクルなどあらゆる移動手段を連携させ、それらの予約や決済までスマホのアプリで出来てしまうようなサービスのことだ。Google MapやYahoo!路線などで最短/最安などの都合による行き先検索が出来るけれどそれをもっと便利にしたものと思えばいい。もちろん旅行先の宿泊やレストラン、アトラクションなどの予約なんかもワン・パッケージで出来るものもある。このショートSFになぜフィンランドが出てくるかというと、フィンランドではこのサービスが非常に進んでおり、Whimというアプリを使えば実に楽に便利に旅行ができるのだ。

 

僕らはその夏フィンランドのヘルシンキに旅行をした。

 

仕事柄、うわさでは聞いていたMaaSWhimを使って実に快適な旅だった。なにしろ、自宅に居ながら、僕らの旅行計画に沿って、ホテルだけじゃなく、行きたいところ、見てみたい美術館であるとか、あるいはあれが食べたいこれがいいということでレストランまで予約できたし、それらを訪問するのに必要な交通機関まですべて準備できた。実際現地に着いてみると、iPhoneにいれたアプリをかざすだけ、電車もトラムもバス、タクシーまでもすいすい使えて旅行はほぼ計画通り、いやそれ以上の満足を得て帰国したものだ。

 

帰国後少し経って、僕らに子供ができた。いわゆるハネムーン・ベイビーってやつだ。妻のお腹が日に日に大きくなり、大きな風船を抱えているようになって僕は目を見張ったものだが、ついに、その日が来た。うんうんうなっている妻を励ましながら、僕は初めての自分の子供に大きな期待を抱きながらも、実際に目にするまで、不安と興奮でおかしくなりそうだった。自分で産むわけでもないのに感情移入しすぎだと思った。

 

そして、部屋に響き渡る大きな声とともに赤ちゃんが出てきた。僕の興奮は再骨頂に達しており、体力尽きていながらも微笑んでいる妻を見て僕も涙が出た。「がんばったね!」と幾度も叫んでいた。

 

産後の経過は順調で、妻は所定の日数をこなすと、子供とともに家に帰ってきた。これから一週間以内に名前を付けなくちゃならない。その前に出生届や各種の登録も待っている。僕は眠っている赤ちゃんの顔を見て、自分も生まれたばかりの時はこうだったのかとぼんやり考えていた。

 

ふと気が付くと、妻が傍らに来ていた。僕は言った。

 

「よく眠っているね。どんな夢を見ているのかわからないけど、おっと、赤ちゃんは夢をみるのかなぁ。だってまだ人生を経験していないんだぜ」

「あはは、おかしなことを考えるのね」

 

妻は適当に相槌を打った。

 

「でもあれだよな。いまは、いいよな。生まれたときから人生設計をすることができるんだからな。JaaS、人生アズ・ア・サービスなんて便利なものがあるからさ」

「そうねぇ、心配いらない。この子の一生は私たちが予約してあげられるんですもんね」

「うん。ちょっとお金がかかったけど、ヘルシンキに行った甲斐があったね。あそこはほかに比べて先を行ってて人生のMaaSがあるんだもんな。旅行者も登録できる」

「さしあたり、名前を考えたら登録ね。スマホでできちゃうんでしょ。どういうプランがいいかしら。ウチの生涯収入とかいくらの設定でいく?」

「いざとなれば実家の両親の資産も合わせてサブスクできるよ」

「それにいまから頼るのはちょっとまずいわよ」

「・・・そうだな。じゃぁ、庶民コースをベースにちょっとプランをシミュレーションしてみるか」

 

赤ちゃんは眠りの中でつぶやいた。

 

「おいおい・・・ひとの人生勝手に決めるなよ・・・」


Back To High School Days

僕が高校生の時書いたSFを掲示します。当時書いたままです。「宇宙之図」はファースト・アルバム初回盤特典CD-Rにリーディングが収録されています。

宇宙之図

時計屋




もしかしてBeatles