チャック・ベリーのレコードを買う

まず、上の2曲を聴き比べて欲しい。

BeatlesからChuck Berryを知り、チャックを聴かないとビートルズはわからないと思っていた僕は、ビートルズNo.5に続くようなタイミングでチャックのレコードを買った。当時CHESSのオリジナルアルバムは日本発売されてなかったし、US盤にしても揃っているわけでもなかった(実際に輸入盤に手を出すのは少しあとになるのだが)。近所の町のレコード屋へ行って、買ったのがGolden Decade Vol.1だった。多分、これしかなかったか、ほかのがあったにせよダサいフィリップス盤だったかもしれない。プディングみたいな形のラジオのジャケで2枚組だった。解説は中村とうよう氏。「どこの誰かは知っているが誰もレコードを聴いたことがないチャック・ベリー」なんていうような書き出しだったと思う。

僕は早速Roll Over Beethovenに針を落とした。慣れ親しんだBeatlesみたいなロックンロールが飛び出してくると思っていたら、ぜんぜん違う!揉み手をするようなハエが手をすり合わせるような性急なギターのイントロに続いて「アレよっ」とでも言いたくなるスットコドッコイなリズムじゃないか!あっけに取られている内に曲は終わった。これがチャック・ベリーなのか・・・。軽い。早い。だいたいそんな調子だ。Thirty DaysやBack In The USAとかはちょっと重さがあるかなと思ったくらい。でも、チャックは必須科目だから聴かなきゃならない。そして聴いたら「俺はちゃんと聴いてんだよ。チャックをね」と自慢もできる。チャックとの出会いはこんな感じだった。

ストーンズから始まる米国音楽の旅

ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、レッド・ツエッペリン・・・高校時代に放送研究会のレコードコンサートでディープパープルを聴いて「すげぇ!」と思ったもののそっち方面には行かなかったがここに挙げたアーティストを初め、当時流行っていたハードロックやヘヴィーロックにはなじめなかった。とくにジミとジャニスはトラウマがあった。

ジミの場合は友人とレコード屋の前を通った時、たまたまジミの演奏するBlue Swede Shoesが流れていた。ひどくスローでヘヴィーな印象で、すでにお気に入りとなっていたエルヴィスのほうがぜんぜんいいじゃないか!と思った。その時点でジミに対する興味は完全になくなった。一方ジャニスの場合はTVでモンタレーだったかをやっていて「イイイーーー」と引っ張るような叫びを上げている場面が目に入った。あとから曲はBall and Chainだと知るが、ぜんぜん感じなかった。ジミ同様、その場でジャニスはNGとなった。

なんだろうな、ひとつには彼らの演奏、これはハードロックやヘヴィーロックのバンドにも共通していたんだけど、自分より上の世代が聞く大人の音楽に聞こえたのが大きい。勿論、ジャズやクラシックもぜんぜんダメだったが同じカテゴリー、すなわち僕はそれらの音楽は難しくて面白くないという評価をしていた。

70年代初頭から中頃、もっと端的に言うと、これもあとで突っ込んで語るけれど、パンク・ロックが出るまでビートの効いたロックンロールは下火だった。アフター・ザ・ビートルズだったからビートルズの4人やその流れでバッドフィンガーやエルトン・ジョンなどはヒットもしていたし好きでよく聴いた。そして、やはりはずせないのがストーンズだった。「4人のビートルズに対して7人もいるのか、ストーンズ!?」という出会いをした僕とストーンズだったが、「ブラウン・シュガー」は大好きだったし、「ダイスをころがせ」や「ハッピー」もお気に入りだった。「メインストリートのならず者」をFMエアチェックでカセットに録音し、お小遣いもあまりなかった頃、繰り返し繰り返し聴いていたらだんだんよくなって、しまいには「いいね、ストーンズ!」という状態になっていた。

先ほど書いたように、「ビートルズとチャックではずいぶん違うぞ」状態だったけれどストーンズのRoll Over Beethovenはチャックに近いものを感じた。新聞部だったI川とは仲がよくて電話したり好きな音楽について語ったりしていたが、彼はすでにマイルスからブラック・ミュージックへ入っていたが、僕のブラック・ミュージックはまだチャック・ベリー、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノと言ったあたりで、ストーンズの名前の由来になったRollin' Stoneのマディとかは敷居が高く感じていた。I川と電話してる時「ブルースはまだちょっとな。心の叫びみたいなもんだろ?」とつぶやいたくらいでまぁ、ブルースもオトナの音楽にカテゴライズされてものだ。

ストーンズに関しては、その頃、サイタマの大宮方面に家庭教師のバイトに行ってたんだが、バイト代を貰うと、大宮駅の東口にあったNew Morning Sunという出来たばかりの輸入盤屋に寄ってはレコードを買っていたのだが、そこの店員がストーンズ・マニアで僕にあれこれ勧めてくる。その店で最初に買ったのはHot Rocks 1964-70だったが、Beggar's BanquetもLet It Bleedも初期Out Of Our HeadsやNowもそこで買った。Beggar's Banquetを買ったときなど、店員のお兄ちゃんがさっさとシールを破り、店のターンテーブルに乗せ、「このB面がたまらないよなぁ!」と悦に入ってた。輸入盤の楽しみであるシールの開封とA面1曲目から聴くというふたつの重要な儀式が反故になり、「おいおい、それ、僕のレコードだよ」と心の中で文句を言ったものだ。Nowに関してはちょっと思い出があり、大学に入ってすぐ教授宅訪問と言うイベントがあり、キャンパス内に住んでいる教授の家を訪ねたらリビングにNowが置いてあって、「おお、さすがアメリカ人は違う!」と感動した。Sticky Fingersとかだったらそんな気にはならなかったんだろう。Nowという超地味なLPがさりげなくあったのがカルチャーショックだったのだ。

そうやってストーンズのアルバムを聴いていくうちにブルースへと進み、これはその後何年も掛けての話だが、ルイ・ジョーダンやナット・キング・コールやホーギー・カーマイケル、さらにもっと前、ついにブラインド・ウィリー・ジョンソンやジェリー・ロール・モートン、チャーリー・クリスチャンそして無数のゴスペルを聴いて戻って来たらジミもジャニスもツェッペリンも「おお、いいじゃんね!」と抵抗なく聴けるようになった。この米国音楽の旅はまたあとで語ることにしよう。

 

輸入盤と海賊盤

カメラ屋でズッコケながらもその夏のバイトをしたおかげで、僕は本格的にオーディオコンポを買い揃えていった。まず、PIONEERのステレオレシーバーだ。アンプとチューナーが一体になったヤツ。3万円弱だった。もちろん、アンプとチューナーを別々に持ってるほうがいいのだが、高いオーディオにお金を使うくらいならレコードをその分たくさん買ったほうがいいだろうと決めていたので、最低限のセットを揃えることにした。それでも全面アルミパネルでチューナーはスケール型。実はいまでもこれを使っている。

次に不満のあったターンテーブルを買った。CEC製のベルトドライブ、2万5千円くらいだった。CECというのはサイタマにあったシブいオーディオメーカーで安価でいいターンテーブルで定評があった。スピーカーはラジオ時代の屏風型を勉強机を挟んで左右に設置した。

録音に関してはしばらくSONYのモノラルテープレコーダーを使っていたが、ヘッドが磨り減ってしまい、いったん取り替えたのだが、やはりステレオで録音したいと言うことでデッキを買った。これが一番高かった。6万円以上した。AKAIのクリスタルヘッドで絶対減らないというふれこみだったから迷いはなかった。

これで準備は万端!小遣いも増えてきた僕は雑誌に載ってた輸入盤を買い始める。新宿にあったDISCROAD、There is no road like Discroadというキャッチフレーズの店でBeatlesのLPを買った。Second Albumが1,200円、Rubber SoulとHelp!のパーロフォン盤が各1,600円くらいだった。ごく自然に買うようになったLPだが、高校時代はLPってどうなっているのだろう?曲の前にラジオみたく曲目紹介ナレーションが入っているのだろうか?いや、そうじゃないと聴いているのが何の曲だかわかんないじゃないか?!などと真剣に思っていたものだ。いまでこそ笑い話だが、なにせ、前人未踏なのだから!

カメラ屋のバイトは7月一杯と決めていたので8月に友人から短期のバイトの紹介があり、行ってみた。それはその友人のお姉さんが勤めているどこかの漁業会社の収穫に関する統計を整理するような仕事だった。1週間くらい毎日エビだったかオキアミだったかの収穫数をまとめていた。その会社は有楽町あたりにあり、僕はバイトが終わると数寄屋橋ショッピングセンターに吸い込まれていった。そこにはハンターという中古を主に置いてある割と大きな店があった。たしか少し離れて二軒あった。そうそう1件はショッピングセンターの2階、もう一軒はSONYビルの地下だったっけ。その2階の店のほうに行くと店の入り口にくるくる廻るラックがあって、そこに新品がどさっと刺さっていた。まずLet It BeのUS盤を買った。Red Apple盤のGatefold仕様(見開き)だったがカットアウトで大きく角が取れていた。1,300円だった。家に帰って盤を取り出すと、器のように反っていた。それでも聴けるからしばらく聴いていたが冬のある日、ストーブにかざしていったん柔らかくしたら反りが直るか?と思いやってみたら、あっ!というまに全体がぐにゃぐにゃっとなってしまいお釈迦になった。仕方ないのでセンターレーベルだけコースターのように切り取って持っていた。もったいないことをしたものだ。あとで知ったが、このUS盤はカウンターフィット(偽者)盤が出回っていたようでもしかしたらそれだったかもしれないな、などと思ったものだ。当時それを判別する知識はなかったのだが。

別の日に行ったら、今度はFive Nights In Judo ArenaというLPが大量に入荷していた。Beatles66年の日本武道館公演を収録した海賊盤だった。1,500円。音質がどうなのかわからなかったが、カラージャケットだし、最悪持ってるだけでもいいだろうと思い、購入。聴いてみたら一応ライン録音で儲けモノだった。バンド演奏されるYesterdayが新鮮だった。あとでこのLPは世界初のカラージャケットのブートだということを知った。これがまぁいい音だったので「海賊盤もいいんじゃないか?」という間違った認識を持ってしまった。しかし、このあと例のNew Morning Sunで買ったStonesのMADISONという海賊盤(もしかしたらこれがその店で買った最初のものだったかもしれないな)がステレオサウンドボードだったことも間違った認識を助長させただけだった。